
レピュブリックの先で地上に出た、サン=マルタン運河には、有名
な鉄骨の太鼓橋がかかっている。映画もあまり見ないけれど、『北
ホテル』の舞台となってから有名らしい。そのホテルの建物も最近、
観光用に整備された。アメリが水切りをするのもサン・マルタンら
しい。
しかし、いくつかあるそれらの橋は、人が歩くには十分の広さがあ
るけれど、もちろん車が通れるわけではない。このあたりのサン=
マルタン運河の水面は、道路と同じレベルで、両側は格好の遊歩道
になっている。(人と水面を分離することしかあたまにないこの地
の考えには困ったものだ)
ところで、運河と交差している車の通行する道路は、運河を船が通
るときには、踏切が降りた上に、何とその2車線の道路が回転して
しまうのである。それには時間がかかるため、この道路は運転手た
ちに避けられているのかどうか、このあたりを車で通ったことはな
いので、よく知らないけれど、それなりの通行量はある。
一方、運河を通る船の方は、いくつかの水門を抜けながらウルク運
河とセーヌのレベルの差を解消していくので、こちらもゆったりと
したものだ。
両側の閘門にはさまれたドッグのなかに入ると、閘門が閉まり、そ
こに水が入ったり、抜かれたりしながら、手前のそれまでの水面レ
ベルよりも数メートルも上下してしまう。こんな機構をだれが、い
つごろ考えたのだろう。観光船が歩くよりも遅いといわれるゆえん
である。
ちなみに、ここの運河の幅は10メートルほどなので、(だから河岸
からアメリの真似をしてはいけないし、水面近くの橋へは近づけな
いはずだ)時間によって方向が反転する一方通行である。もはや、
ひとびとの交通手段として使われているわけではないのだろう。
しかし、パリのひとびとのゆったりとした生活のテンポを経験して
みるためには、(もちろん、誰しもが、いつも、そんなわけでもな
いのも事実だけれど)適切な手段なのかもしれない。こちらは船に
乗っているわけでもないのに、ドッグで上下する船を、閘門番の喜
び回っている犬と一緒に、飽きもせずに眺めていた。
ヴィレット門の近くに来ると、道路より水面が下がり、その頃、ペ
ニッシュが停泊していたあたりは、すこしひとびとのから分離して
いるように感じたものだ。

さて、その頃のペニッシュオペラには、1年の半分の期間しか、こ
のサン=マルタン運河での係留許可がでないため、(船を手に入れ
るよりも、その係留許可をとることのほうがはるかに難しいし、係
留場所は自分たちの活動の生死をわけるほど重要だと強調されてい
た)残り半分をべつの場所に移動しなければならない、と写真を紹
介されながら説明を受けていた。
それらのなかには、この赤と緑に塗り分けられた二艘のペニッシュ
が、田園風景のなかを航行しているところや、運河に囲まれたアム
ステルダムの市街地に停泊している写真もあったし、ここのサン=
マルタンで氷に閉ざされてしまっている写真もあった。
実は、ヨーロッパ中が、北海から地中海へと、河川と運河によって
つながっている、ということもそのときに知った。それらの河川や
運河は、もともとは貨物の輸送という役割のために、現在の道路が
つくられるように整備されてきたのだろう。
このサン=マルタンのように、観光船が主に通行することになって
も、このフランスの大都会においても、まだまだ多くの物資が水運
を利用されているのだろう。それらの詳しい地図も発行されていて、
のちになって、いくつかを入手した。
もちろん、ペニッシュオペラは、観客を乗せて移動したりするわけ
ではないけれど、さまざまな土地へ出向いて行って、そこの観客の
ために、オペラ公演を行っている。このシーズンもプラハまで行く
といっていた。
そんな話を聞いていたからでもなく、いちど、サン=マルタン運河
に沿って歩いてみることにした。セーヌのオルセ美術館の近くから
かどこかから、こちらのほうへまでくるクルージングがあるが、ま
だ乗ったことはない。
地図で見ると、サン=マルタンとセーヌはつながっていないように
しか見えないが、セーヌのサン・ルイ島からすこし上流に、右岸の
バスティーユ広場ほうにまで入りくんだ、ボートの係留地となって
いるアルスナル港があり、開けた周辺の公園ともども、ひとびとの
憩いの場になっている。夏には水に飛び込むひともいるようだ。
そういえば、パリに海岸がないのは、よほど悔しいのか、(それと
も夏休みに南仏へヴァカンスへ行けない人たちのためなのか)セー
ヌにプールを浮かべるだけではもの足りず、最近になって、夏の期
間中だけ、セーヌ河岸に砂浜をもちこんで海岸をつくるようなこと
までやっているけれど、水量の多いセーヌで泳げるわけではない。
そのバスティーユ広場から先は、サン=マルタンはレピュブリック
広場近くまで、リシャール・ルノワール大通りの真ん中の公園の地
下をくぐっているのである。
いつか、この地下のトンネルの部分に幻想的なライティングがほど
こされたことがニュースとなってからは、観光船の乗客をたのしま
せているのだろう。パリ滞在中も、あまり観光地へ行ったりはしな
いけれど、やはりいちどは乗ってみたほうがいいかもしれない。最
近、運行会社もふえたようだ。

横浜に来てもらうことになっていたペニッシュオペラのディレクト
リスへの取材のためにお正月休みを利用して急遽、パリまでやって
きたときには、セーヌを渡った右岸のことはほとんど知らなかった。
現在のようにインターネットもなかったときに、どうにかこうにか、
残りわずかな公演予定日を確かめてから、(お正月といっても、ク
リスマス休暇のあるパリでは元旦が休日なだけだけれど、そんなこ
ともあまり知らなかった)航空チケットを予約した。
朝、東京を発って、夕方はやく滞在先のアパルトマンの引き継ぎを
すませてから、同じ日のうちに、サン=マルタン運河に沿って並行
に走るバスに乗って、何とかあたりをつけていた停泊先まで駆けつ
けた。メトロからも遠くないことに気がついたのはあとからだ。
連絡をしていたため、いろいろな資料を手渡されながら、かといっ
て、それらに目を通すまもなく、二艘のペニッシュを案内されてい
るうちに、しばらくすると、お客が集まりはじめ、まったく知らな
い作品の公演の予習どころではなかった。
その夜は、ふたつの作品がプログラミングされていて、狭いペニッ
シュの舞台を転換する代わりに、後半の作品を観るために、何と休
憩時間中に観客がべつのペニッシュのほうに移動するのだ。
コートも着ないで外に出ると、凍えるほどでもなかったパリの冬の
夜は、舞台の熱気をさますのにちょうどよかった。べつのペニッシ
ュに移った観客たちが、ヴァン・ショ(ホットワイン)を飲んでい
たことをよく覚えている。ちょうどよかったのは、わたしだけだっ
たのかもしれない。
翌日も、写真を撮るためにはやめに訪れて、日曜日の遅いマチネの
最終公演をもういちど聴いた。こうしてみると、この作品は、べつ
の機会にパリででも、あるいはべつの場所ででも公演されることも
あったのかもしれないけれど、もう、けっして観たり、聴いたりす
ることはできないのだろう。たとえば、映画などと比較しても、そ
れは明らかなことだ。
わたしは、ときどき、ヴィデオに撮ったりしないの? と相手から
同じ答えがかえってくることがわかりきっているのに、折につけ同
じ質問を繰り返してしまう。もしかしたら、音くらいとっているの
かもしれないけれど、その存在を教えられたことはない。
それらは、わたしたち聴衆のわずかな記憶のなかに残っているだけ
だ。そのことがどういったことを意味するのか、以前よりはすこし
はわかるようになったけれど、わたしにはまだ、本当には、なかな
か理解できていないのだろう。
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