音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
リズムの非論理性あるいは異国民族音楽の魔法
1918年、大阪でももっとも大阪らしいといわれている
船場の問屋を営む家庭で生まれた大栗裕は、1982年に
64歳で亡くなっている。『甦る大阪の響き~大栗裕没
後30周年記念演奏会』終了後に、誰かが語っていたよ
うに30年経過したにもかかわらず、忘れられなかった
のだろうか。あるいは「甦る」必要があるほどに忘れ
られてしまっていたのだろうか。
08
大栗は家族の反対にもかかわらず、音楽への情熱を捨て
きれず、家を出てまで商業高校のクラブで始めたホルン
を続け、ホルン奏者として東京と大阪でプロのオーケス
トラに所属し、モーツァルトのコンチェルトも演奏して
いる。その大栗が、いつから作曲をはじめたのか不明な
点もおおいが、作曲家の指揮よりも、このようなケース
もけっして少なくないのだろう。
15
オーケストラ活動のかたわらで作曲の独学を続け、ホル
ン奏者として参加していた京都撮影所で当時の第一線の
作曲家の映画音楽に接しながら、習作とよばれる作品を
書いていたのだろうか。ピアノを弾けない大栗がハーモ
ニカを吹いて音を確かめていた(大栗文庫とともにロビ
ーに展示されていた)というのは、もうすでに伝説に近
い。
22
このような大栗のデビュー作品がオペラ『赤い陣羽織』
であり、すぐに関西歌劇団で上演されて好評を得たとい
うのは、なかなか考えにくいことである。ましてやいま
ではこの作曲家の代表作といっていいつづく『大阪俗謡
による幻想曲』にいたっては、神戸での初演後、第二次
大戦後まもない時代に、ベルリンフィルハーモニカーで
演奏され献呈されているのである。
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この実績に貢献したのはいうまでもなく、当時の関西歌
劇団と関西交響楽団の指揮者をつとめていた、ちょうど
10歳年長(作曲家は同じ誕生日を自慢していたらしい)
の朝比奈隆である。朝比奈は晩年でこそブルックナーや
マーラーなどの後期ロマン派の大曲で知られているが、
もともとベートーヴェンはいうまでもなく、チャイコフ
スキーやレスピーギもレパートリーとしていた。
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しかし、朝比奈が積極的に現代曲をとりあげていたとは
到底考えられない。このベルリンでのコンサートでもベ
ートーヴェンの第四交響曲をメインに、コンチェルトを
べつにすれば、大栗作品と芥川が取り上げられている。
そして、そこで大栗は「東洋のバルトーク」と称せられ
るのである。
42
著名な評論家シュトッケンシュミットは「勇敢な色彩混
合・メロディカルな名姿を浮かび上がらせる音階、不気
味な非論理的リズム、珍しいチキチンキチチン・あふれ
るドコドコの打楽器の響きのなかに、古代異国民族音楽
の魔法が生まれ、ヨーロッパの句切法との独特の結合を
しめした」と絶賛している。ほかの批評家とともに、ベ
ルリンの聴衆がこの『幻想曲』にいかに驚かされ、魅了
されたかは容易に想像できる。
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おそらく朝比奈にとっては大栗作品は現代曲ではなく、
大栗は現代作曲家ではなかった。関西歌劇団の創作シリ
ーズのために、ホルン奏者に作曲をうながした朝比奈に
どれほどの確信があったのかはともかく、そもそも関西
交響楽団にホルン主席奏者として招聘したことからもわ
かるように、ふたりは指揮者とオーケストラプレイヤー
としての交流があったのだろう。プログラムに掲載され
ているひと世代離れたふたりの写真(撮影年代はともか
く)では、あいかわらず毅然としているマエストロに対
して、人なつっこさを醸し出している作曲家というふた
りの人柄、あるいはふたりの関係を如実に描き出してい
るように見える。
62
そして、朝比奈はこの作品をベルリンにも、おそらく芥
川作品のつけたしのように携えていった、天神祭のお囃
子と大阪弁のイントネーションに満ちあふれたこの『幻
想曲』のスコアを眺めながらも、すでに東京から大阪に
活動本拠を見いだしていたにもかかわらず、最後まで大
阪弁をけっして話すことはなかった指揮者には、すでに
ベルリンでの賞賛を予測できていたとしても、はじめて
競演する演奏家たちに、この「非論理性」をどのように
伝えたらよいのか、一抹の不安があったにちがいない。
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しかし、この夜のコンサートでは、弟子であった近藤望
の渡欧のために書いたという『変装曲』(初演では作曲
家が馬子に変装していた)の引用だらけのタイトルどお
りの「ホルン奏者の休日」というユーモラスな作品はと
もかく、ギネスもんだといいたくなってしまった140名
のホルン奏者による合奏(奏者はともかく楽器の集合に
びっくり仰天)のよく響き渡ることは、大栗が作曲家で
ある前に、ホルン奏者であることを証明しているに違い
ない。
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そして最後に『幻想曲』とともに、ヴァイオリンコンチ
ェルト(第三楽章のみだったが)は大フィルと指揮者手
塚幸紀とソリスト長原幸太の演奏とあいまって、見事に
気持ちよく鳴り響くオーケストレーションにも心底感心
させられてしまっていた。終演後オーケストラOBから
「自分たち(の音)はこの二倍くらいだった」といわれ
て、この作曲家が指揮者だけでなく、この地で、おおく
の人に愛されていたことがよく理解できたのである。
過剰なピアニストへ
過剰なピアニストへ

01
 大井浩明がピアノを弾いている姿を見ていても、とて
もピアノを弾いているとは思えない。たとえば、画家ル
オーがイーゼルではなくテーブル上に水平においたキャ
ンバスにむかって、絵筆でなくナイフを使っているモノ
クロ写真から、どうしてもパティシエを連想してしまう
ようなものだ。衣装のことも身体性のこともいわないに
しても。演奏中、なぜかピアノに対して窮屈なように見
えるし、演奏をはじめてからも、鍵盤上でなく譜面台を
気にしている手(あえて指とはいわない)の動きのほう
に目がいってしまう。そのような動きは何に相応しいの
だろうかと思って、休憩時間に隣人に訊ねてみると「マ
ッサージ師よ」とビールを片手に返ってきたあっけらか
んとした返事に、質問の前に用意すべきだった返す言葉
は、いまだに反論を見出せない。でもルオーの絵画は美
味しそうにはみえないけれど、このピアニストによる効
能は、そこから紡ぎ出される音とともに絶大なのかもし
れないと思ってしまえたのだ。
18
 4曲目にピアノがクラヴサンに置き換わったら、ます
ますいけない。奏者がクラヴサンよりはみ出しているよ
うにも、指が鍵盤からはみ出しているように見える(勿
論、そのような大袈裟なことはない)。ここでも演奏し
ながら譜面台を前後し、追加のストップ操作に加え、な
ぜか音をたてているペダルに足下も繰返し覗いている。
両手で鍵盤を演奏しながら、なぜ、そんなことが可能な
のか不思議でならないが、譜面を繰り損ない、あるいは
繰った前頁を覗き返したり、バインダー代わりの(無地
にしてよねといいたくなる)スケッチ帳を閉じたり開い
たり。いうまでもなく、かといってこれらは聴こえてく
る音楽に何の齟齬もない。いすれにせよ、次回はホール
上手側の席にしよう。
30
 さて、演奏されたのはヤニス・クセナキスの全鍵盤作
品。それも年代順。少し早めの開演時間などなど、に実
は終演は深夜に及ぶのか、と不安よりも期待(終電車懸
念不要)にもかかわらず、それはわたしの無知ゆえで、
それほどとんでもない時間までかかったわけではなかっ
たけれど、時間が押してアンコールはしょるというほど
の時刻にはなった。おまけに楽器交替と共演者闖入以外
に曲間で出入はなく、重ねられた楽譜を入れ替えながら
ほとんど雑作なく次が進められ、休憩時間等を除くと、
ほぼ作品の所要時間の合計の結果にしか過ぎない。
41
 演奏された作品はこれもヤニスかと思わざるをえない
1950年の『ギリシャ民謡』からはじまって全部で9曲。
2曲目はなぜか(理由をのべるまでもなく名前は伏せて
おく)馴染み深い『ヘルマ  シンボリックな音楽』が
こんなにまでクリアに見え、聴こえた。見えたのは演奏
しているピアニストの手でなく、音そのもの。ちょっと
肩すかしをくらわされたほどのシンプルさ。時代が追い
ついたのか、われわれがたどりついたのか。(後年の内
弟子パスカル・デュサパンによると、その楽譜は初演者
が弾いてみるまで、長期間うちやられたままだったらし
い)その暗譜しなければ弾けないはずの全鍵盤の端から
端へと駆け巡る跳躍を、譜めくりながらやすやすとやっ
てのける。ダイナミックさと力強よさ。まるで時間を停
止しながら、それでも音だけを進行させる秘術でもある
かのように演奏が進む。構築されたフォルムがむしろ計
画性(恣意性)もなく、雑作なく出現してくる。それに
『エヴリアリ』がつづき、横に並べたクラヴサンに移っ
て『ホアイ』とピアノに戻って『ミスツ』で前半終了。
舞台と客席からロビーまでが、まるでチャンピョンのノ
ックアウトを待つ、なにかのマッチの最初のラウンドが
終了したかのような雰囲気。
62
 後半は神田佳子のパーカションとのデュオ『コンボイ
/オォファ』とソロの『ナアマ』がクラヴサンで、ピア
ノは『r.へ』の短い作品のみ。小文字ながらラヴェルへ
のオマージュ。クロマチックな音の連続のなかで挿入さ
れる和音。そこで舞台上から遊離して、あらためてピア
ニストのソノリテやらレゾナンスに思い当たった。それ
はけっして知覚のアンビバレンツではない。あるいは、
そこの差異における裏返しの効果でもない。しかし、こ
こでも、ふたつの知覚(あるいはそれ以上の)を結びつ
けることはなかなか困難なのだ。
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 そしてデュオを待つまでもなく、やはり作曲家がなぜ
クラヴサンのための作品を書いたのかいぶかしく思うの
はこちらの無知さに過ぎないのだろう。すでに増幅(音
響/有馬純寿)が前提だった時代に加えて、きっと友人
であったらしい初演者の存在ゆえなのには違いない。
74
 そして、大井浩明はピアニストである前にクラヴシィ
ニストらしい。勿論、その両方なのだろう。しかし、す
でに和音のなかに類いまれなレゾナンスを聴きとってい
たわたしは、どちらかというとアコースティック・ピア
ノを聴きたくなった。共演者がいる以上、全鍵盤楽器と
銘打つからには、なぜヴァイオリンとのデュオ『ディク
タス』やらが入っていないのだと難癖をつけるつもりも
ないけれど、ちまたでいわれているように、このピアニ
ストが「ほどほどをわきまえない」過剰さをもちあわせ
ているのだとすれば、アンサンブルはともかく、今日の
プロのソロをすべてをピアノで聴いてみたらという(編
曲がはいるかどうかはともかく)妄想を抱いたことを、
あえて最後に付け加えておこう。
         (2011/09/23 代々木白寿ホール)
ジャスミンじゃすまん
倉内直子『茉莉花ーーフルートソロのための』

なぜか、というほどのこともないけれど、会場のエント
ランスのある地上から地下へ降りていく階段のほとんど
下がりきったところのだれも踊ったりはしないはずの踊
り場にスタンドが並べられてあって、本日はじめて人前
で演奏(すなわち初演)される(あまり新作とばかりも
いえない)作品の楽譜が並べてあった。隣とくっついて
いたので、落ち着いて眺められるわけではないし、見た
くなったらあとから作曲家に所望するばいいはずだと思
って(そうもいってみたけれど、これまでに答えてもら
っているわけではない)、それでもなんとはなく、開い
ていた最初のページを覗いてみた。そこには、いくつか
の(正確には忘れたけれど)フレーズ、あるいは音の塊、
というより、いくつかの音の連なりが書かれてあった。
この倉内直子はフルートソロのはずだけれど、一段譜だ
ったのかどうかももはや心もとない。
16
ページを繰らなかったのは、失礼を顧みずに書いておく
けれど、なんとなく、その最初のぺージで、作品全体が
読めてしまったからである。少なくとも、そのときその
ような気がした。勿論、それはどちらかというと、その
スタンドの前に立ち止まった気まぐれ同様、むしろべつ
の楽譜を見てみようとしたからだけかもしれない。
22
最近、ときどき音楽作品のはじまりはともかく、どのよ
うに最後が終わるのかということは、新作初演を聴いて
いる(ごく僅かな人たちを除いた)聴衆にとって、まっ
たく予測だにしないということが気になってしまってい
る。それは、むしろさいわいなことかもしれないし、そ
うでないのかもしれない。あるいは前者だと思ったから
こそ、演奏前から並べられていた楽譜の最初のページを
(最後まで)繰って、最後を覗いてみようとしなかった
のかもしれない。いや、実のところ、それほど意識して
いたわけでもない。
32
すでにのべたようにソロ作品だけれど、紆余曲折、さま
ざまな(いろいろな意味で、とあえて付加えておこう)
コンサートプログラム(そのなかには演奏したソリスト
ならではの笑いこけるしかないものもあったけれどーー  
録音されてしまったのかも)には数人の編成もあったに
もかかわらず、この『ジャスマン(茉莉花)』は、最後
に演奏された。そのことをここであらためて、あげつら
うつもりもないけれど、それが当番だけだとしたら(そ
んなことは事情を知らずとも誰にもさっしはつく)奇妙
な気がするのはわたしだけではないように思う。
43
ほかの作品について書くつもりはないので、ここでは、
これ以上、このことに触れる必要もないだろう。それで
繰り返すけれど、この「展」の最後になって、予想通り
(楽譜通りというのはあまりにも当たり前すぎるけれど
も)最初のページの演奏がはじまった。そこに提示され
る音、あるいはこの地の言語では複数形はないにしろ、
あえていうのならば数個の、あるいはいくつかの「音た
ち」。それらが、見ることもなかった次のページから、
さらにはその先にまで引き継がれ、繰り返され、さらに
繰り返される。駆け上がるものあり、転げ落ちるものあ
り、さまざまであるにせよ、異形同類のように思えた。
ところどころにリズムに変化が加わり、といっても、あ
えてこじつけのように言い直しておくならば、変化して
いたのは、リズムでなくテンポだといってはいけないの
だろうか。リットやアッチェレでなくテンポそのもの。
しかし音型はかわらない(というとあまりにも雑駁に過
ぎるかもしれないけれど)。
60
その繰返しは、企図されたものなのだろうか。勿論、そ
れを書くのは作曲家にほかならないに違いないのだろう
ゆえに、ひとりの存在としてのなんらかの企図はあるは
ずである。しかしここで気になったのは、あるいは、作
曲家の企図以上に繰り返されたのだろうかという疑問を
抱いてしまったことだった。と書いてみたところで、じ
っさいには、音型だって変化しているし、リズムの変化
もある。すぐに強弱の変化も表れるし、まもなくロング
トーンだって、それに特殊奏法だって(その同じ月の終
わりになってとんでもないというしかない奏法を耳にし
たけれど、それはまた別の話である)出てくる。それら
をすべてテンポの変化に過ぎないというのは、あまりに
も無謀な話で、それは釈尊の掌の上で踊っていた悟空に
過ぎないというのはどうしようもない譬え話だろう。
74
しかし、なぜか、わたしはそのように聴いた。「聴こえ
た」などと普遍化するつもりはないけれど、あえていっ
てみれば、そのように聴きはじめてしまったのだ。それ
は、ある意味、困った先入観に違いないのだろうけれど、
それを前提とすれば、やはり、どこかで物足りないとい
うふうに思えてしまうのだ。それは、どこのヴァリエー
ションなどというつもりもないし、それらのすべてに違
和感があったということもないのだろう。あるいは、そ
れらのヴァリエーションが、テンポの変化に還元されて
いたのかどうかと問いかけることで理解できるのかもし
れない。ここで、音楽でもっとも重要な要素はテンポで
ある、などというつもりもないし、作曲に費やした日数
というのもどうでもいいことだろう。はたまた悟空は誰
なのか。釈尊は存在するのかなどと問いかけるつもりも
ない。フルート独奏間部令子。演奏時間13分。
『誤謬』のような、そうでないような
誤謬1web

01
ながいコンサートだった。もちろん前半のコンクール本
選会をコンサートというならの話だが。今年度の作曲家
協会新人賞公募は、ハープをふくんだデュオに限定され
たテーマにもとづく応募作品からじっさいに5作品が演
奏された。どこかの楽譜と音源を提出するという要項に
違和感をいだいていた作曲家がいたけれど、こうした本
選会はたんなる「イベント」なのかどうか。もちろん、
厳正な楽譜審査のうえで、さらにじっさいの演奏を聴い
てさらに理解を深めるということは、音楽というものが、
そういう本質をおのずと備えているし、審査員である作
曲家にとっても必要だと主張することになにの違和感も
ない。むしろ聴衆賞というものではない、作曲家以外の
審査がはいる余地があってもいいのかもしれない。
14
このようなことをとりたてて書き出したのは、今回はこ
のような公開審査以前に、じつは結果がでていたのでは
ないかと思われたからである。もちろん、なにを勘ぐっ
ている訳でもない。それほど最後に演奏された(演奏順
もこの想像に結びつくのではないかとあらためて思いい
たらないでもない)山本哲也の『誤謬』は異質だった。
ほかの4作品と比較してもそうだった。それが講評にも
あった「アイデンティティ」であるとされたのだろう。
22
もとより、こちらは初演された5作品は、はじめて接す
るものばかりであったが、それは楽曲そのものについて
であって、ちらしからタイトルはわかっていたし、ブロ
グから作曲家ノオトも読むことによって先入観(を刷り
込まれること)もできたはずである。異質だったのは、
まずはそのタイトルである。それは、およそ楽曲のため
のタイトルにはふさわしくもなく、あるいはなにかロマ
ン風物語性を浮かび上がらせるようにも思えるが、実の
ところ、このタイトルは音楽について、音楽形式にたい
するタイトルであって、それは一種の「開き直り/逃げ」
である。いわばメタ・ミュージックのための作品タイト
ルである。
34
そしてデュオの編成。ハープという楽器は、その旋律的
イメージでもって、楽器フォルムそのものともあいまっ
た「美しさ」に呪縛されてしまいがちである。それを打
ち破るひとつの方法は、デュオであるもうひとつの楽器
選定であろう。その意味でも、チェロやハープを選んだ
作品と比較しても、木管楽器とともに弦楽器でももっと
も低音楽器であるコントラバスを選んだ作品の優位性は
あきらかである。
42
このタイトルはもちろん、作品の中味にも関係がある。
このようにいうのは、これを聴く前に聴いてきた4作品
をまえにして、音楽作品を書くということについて考え
を巡らせてきたからである。ある作品をなにの音からは
じめるのか、どのようにはじめるかということは、とく
に時間芸術である音楽では、全体の枠組が分からないう
ちから、どの作曲家も心を砕くであろう。しかし、ある
いは、ときとして、突然、まったく全体の見通しもない
うちから、思いつくことがあるかもしれない。
51
しかし、それとは反対に書いてきた音楽をどのように終
わらせるのかということも、全体構成とあいまって、同
じように難しいということにあらためて認識させられて
いた。それは、後半のコンサートで演奏された作品(と
くに最後の新作初演作品)と比較してもあきらかであろ
うし、そこに経験とか年功を見いだすとしても許される
であろう。いわば、近藤譲が詳しく定義付けをこころみ
ている「音楽のディスコース」といっていいのかもしれ
ない。聴いていて、こちらの想像のようには終わってく
れない、あるいは終わったと思うのにさらに続くのであ
る(こういった聴衆の想像/先入観はなにものでもない
けれど、裏切られるにしても、やはりニヤッとさせてく
れなくては)。あるいは、それとも作曲家はまず最初に、
最後を思いつくことはあるのだろうか。
66
しかし、このディスコースにも『誤謬』だといって(そ
しておそらく「ごめんなさい」といいながら)はぐらか
してしまったのである。プログラムノオトによれば「曲
全体としては,比較的短い時間の中でこの編成において
単純にやりたいことを全て提示し、出し切ってしまった
ら曲を終えるという構成」になっている。もちろん、こ
れは構成ではない。すなわち作曲ではない。脱構成/脱
作曲といえるものである。
74
これらは、ようするに、いわばアイディアである。画家
ドガが詩を書けないとマラルメに吐露する会話を引用し
て「(大文字ではじまる)アイディアとはいかほどの重
要性があるのでしょう」といいきるデュサパンに倣えば、
しかし、それはアイディアでしかない。そしてこの『誤
謬』に満載された音楽アイディアとともに、このような
さまざまな「目くらまし」(あるいは「耳くらまし」と
いうべきか)によって、作曲家である審査員も、ミラン
からやってきたディレクトリスも、会場の聴衆も、見事
に(そして素晴らしく)騙されたのである。
84
しかし、もちろん喧伝されてすでに随分と久しいアイデ
ンディティも、いうまでもなく、それがあればいいとい
うものでもない。これからはどのようなアイデンティテ
ィなのかが問われるのであろう。再演されるミラネーズ
風だろうか。期待はつきない。

近藤譲『音を投げる』
パスカル・デュサパン『作曲のパラドックス』
東京・夏のフェスティヴァル顛末
01
「作曲家と楽曲はべつ」なのだろうか。しかし、作曲家
は楽曲を書くから作曲家なのであって、そのほかもろも
ろの大学教師とか会員組織などの役職は、作曲家である
ことを補填しているにすぎず、本来、楽曲を書くことと
はなんら関係はない。もちろん楽曲を書くのに作曲家で
ある必要もない。たまたま楽曲を書く人を、本人も周囲
も、ときに作曲家とよんでいるに過ぎない。あるいは
「楽曲は作曲家が生み出した子供のようなものだ」とい
うアナロジーは、やはり適切ではない。楽曲のみがひと
り歩きすることはあっても、それは音楽という芸術その
ものに潜在する本質に繋がるポピュリスムの問題であっ
て、本来楽曲と作曲家は一体であろう。
13
このようにみてくると「楽曲と作曲家はべつ」というに
は無理があり、そのことを前提とするならば、作曲家の
覚せい剤所持・使用が判明した以上、楽曲の演奏がキャ
ンセルされてもいたしかたないのではないのだろうか。
それは消極的な「淀んだ」気持ちからではなくむしろ積
極的にそのような措置を支持すべきだと思う。支持に抵
抗があったとしても、上記の前提という仮定条件に限定
して、理解をしめすことは十分可能なはずである。賛成
はしないが、理解できるということである。
22
それでは、なにのために積極的に支持するのだろうか。
それはいうまでもなく、ひとりの人物が覚せい剤をやめ
るという自覚をうながすきっかけとしてであり、その作
曲家を排斥することでも、その楽曲を抹消することでも
ない。(あるいは他者が許容する/しないという問題で
もない)覚せい剤など薬物は依存性と乱用性があるとい
われている。それを撲滅するためには、その経路である
常習者を撲滅すればいいというものでもなく(このよう
な思考経路はいうまでもなくアウシュビッツと隣り合わ
せである)、その人たちだけに任せておけばいいもので
もない。さらには、スポーツ選手のドーピング同様、楽
曲と覚せい剤を結びつけることはまったくのナンセンス
だと思う。それらの時期の作品を自動的に抹消すべきと
いう意見にも組みすることはできない。
36
しかし、今回の顛末に積極的な支持をえることができな
かったとしたら、楽曲の演奏をキャンセルした側がなん
らの説明をしなかったからにほかならない。むしろ内輪
話のような本人すら報告もできない発言も含めて、部外
者は蚊帳の外におかれたままなら、今回のすべてが「コ
ップのなかの嵐」にすぎないし、そこでの活動がなんら
社会的なものでないということである。とくにコンサー
トという聴衆に開かれているはずの催事において、一般
民衆を差しおいてことが足れり、というのはなにをかい
わんやである。その点において今回の主催者は見事とい
っていいほどお粗末だった。(みずからが委嘱した)楽
曲をはずした理由も分からなければ、そもそもとりあげ
た理由も分からない。(4曲が半分になったらコンサー
トはなりたたないけれど、3曲なら中止せずにすんだと
いうのはどう考えてもおかしな話だ。)べつの作品をと
りあげることも、予定されていた演奏家なら、主催者側
の迅速な判断のもとにギリギリ間に合ったかもしれない。
なにのための文化なのか、だれのための文化なのか、文
化予算が少ないとまず声をあげるまえに、じぶんたちが
だれに向いて活動しているのかをまず考えるべきであろ
う。そうでなければ、やはりだれも文化に税金を使うこ
とをよしとしないであろう。
58
補足的につけ加えておくなら,予定されていた演奏曲目
が半分になるというのは、上記のような主催者側の措置
に抗議して、予定されていたべつの作曲家が「作品を引
き上げる」可能性を示唆したと喧伝されているためであ
る。かれは、結局、その自分の作品が演奏されたコンサ
ートに出席しないという行為によって抗議の意志を示し
たらしい。この抗議にここでなんらコメントする必要は
ないと思われるが、そもそも(かつて委嘱した)楽曲あ
るいは(出版された)楽譜を所定の手続きのもとに、主
催者や演奏家がプログラムにとりあげることを作曲家が
拒否できるものであろうか。ここにも「作曲家と楽曲は
べつ」という冒頭の命題とも結びつく混乱がある。
70
このように考えていくと、今回の措置がいつまでもつづ
いていいものでもない。時期をみる、あるいは時期がく
ればふたたび取り上げればいいのだし、今回のことがい
つまでもネックになっていてはいけない。そしてそれぞ
れの基準で時期を判断すればいいのであって、「社会的
合意」などというのは気持ちのわるいものでしかない。
76
そして作曲家本人にたいしては、ほかのことはともかく、
(あるいは雑事から逃れて)これまでと同じように作品
を書くことをせつに望んでいる。それはいつかのことで
はなく、わたしたち作曲家でないものには信じられない
ことだが「紙と鉛筆されあれば」できるはずなのだから
すぐにでもはじめてもらいたい。そのことのみが、わた
したちの杞憂を払拭してくれるであろう。
83
現在のわたしたちには時間が必要である。それは、もち
ろん忘却のための時間ではなく,再生のための時間であ
る。その時間が経過した時期をまっている。それは能天
気な日和見主義者の幻影なのだろうか。あるいは積極的
な主張なのだろうか。(現在ほど「日和見」という語源
のもつ柔軟さを思いださないわけにはいかない。)
      
                    03092010
                     松原道剛