音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
プログラムノート(デュオコンセールvol.2)
プログラムノート
〈2016年11月26日 ヴァイオリン&ピアノ デュオコンセールのための〉

■トーカル ヴァイオリンとピアノのための (2010) |K•サーリアホ
現在、世界的にもっとも活躍する作曲家の一人であるサーリアホは、ヴァイオリンとピアノのように異なる二つの楽器がどのように触れ合えるかという疑問から、この作品のアイディアを生み出した。

サーリアホは、演奏者の感受性を想像しながらつねに作曲をしている。ヴァイオリンの音は、右手でコントロールされた弓と左手のコラボレーションによって生み出される。ピアノでは、指が鍵盤に触れた音が ペダルによって色付けされる瞬間を精確にコントロールする。これほどの異なるメカニスムにもかかわらず、いくつかの同じ音域をもつという純粋に音楽的な顕著な共通点もある。この作品では、二つの楽器は独立して前へ進みながら、ユニゾンで到達する頂点を描くピアノのほうへ、ヴァイオリンのテクスチュアを引き寄せるという、お互いを見つめ合う場面もある。ピアノはより躍動しながら、どんどん強くなる磁力を想像する。短い共生 の瞬間ののち、ヴァイオリンのラインは、ピアノの整然とした動きから解き放たれ、その生命の重力の法則をはずれながら継続される。

タイトルはスペイン語で「触れること、演奏すること」を意味している。ヘルシンキのシベリウス国際ヴァイオリンコンクールのために委嘱され、2010年、20人のセミファイナリストによって演奏された。
 ▶︎▶︎▶︎試聴音源 トーカル

■作品 ヴァイオリンとピアノのための (1975) |C•ヴィヴィエ
カナダのモントリーオール生まれで、当地のコンセルヴァトワールで作曲とピアノを学んだ後に、ドイツのケルンでシュトックハウゼンに作曲、ハンスウルリッヒ・ユンペールに電子音響音楽をに学んだ。
この『作品』は音楽のカナダ・コンクール国際派遣部門のために書かれた7作品のうちのひとつである。これらの作品は、楽器の特徴を探求して書かれたこれらの作品は、演奏家のテクニックをよく表現するコンクールにふさわしいものとなっている。

曲はピアノの変拍子の導入につづいて、ヴァオリン独奏のゆったりとした序章からはじまる。その後、ピアノとの二重奏でも、細かい音符の変拍子がつづき、やがてテンポが
あがったのち、レントのトリルになり、やがてヴァイオリンの旋律的なフレーズのあと、一旦フェルマータで休止する。ふたたびヴァイオリンがテンポを上げながらメロディを奏で、急緩を繰り返した後、突然ピアニッシモでレントになって曲を閉じる。

その後、ヴィヴィエは、1977年にはアジアと中近東への長い旅にでる。1983年に若くしてパリで亡くなったときには『魂の不滅を信じるか』という予言的な作品を書いていたが、残された40余りの作品は、どれもがカナダの現代音楽の進展を暗示する個性的で表現的な作品である。


■メランコリィ ヴァイオリンとピアノのための (2000)|E•タンギィ
エリック・タンギィは、スペクトル派の作曲家としてキャリアを積んでいたが、のちにネオクラシックの方向に作風が向かう。ドビュッシー、ラベルなどの自国の作曲家のほかに、敬愛する作曲家としてシベリウスを上 げているが、このことは彼の現在の平易な語法に行き着いたことにも結びついている。

この『メランコリー』ではロマ民族のヴァイオリンを思わせる息の長い旋律がヴァイオリンとピアノで、反行しながら演奏される。フランスにおけるサンサーンスやドビュッシーの頃からの他民族の西洋音楽を取り入れる手法を受け継いでいる。ヴァイオリニスト、ギトリス他に献呈されている。
▶︎▶︎▶︎試聴音源 メランコリィ

■そしてすべてがふたたびはじまると… (2003) |G•フィンズィ
モロッコのカサブランカで音楽家の家庭に生まれたグラシアーヌ・フィンズィは、生地のコンセルヴァトワールから10歳でパリ音楽院へと音楽の経歴をはじめ、世界各地で数多くの作品が演奏され、教育にも力を入れる作曲家である。

ほかの作品と同様、このデュオは、人の人生とそのながれのなかでの感情に直接的に根ざしたコミュミケーションへの企図と呼応している。タイトルは、雄弁さへと導かれた、自発的なおうむ返しのように、作品の完成後に名付けられた。作品のガイド役であるつぎつぎと現れる音響サイン(グリッサンド、沈黙、減速)が標柱となり、 書かれた即興性として構成の堅固さを形づくっている。静謐でミステリアスな第1楽章は、ピアノの最低音の問いか けるようなペダルに導かれて、作品に共通したハーモニーが姿をあらわす。ヴァイオリンはリズミ カルな持続音とともに突如として目覚め、つづいてピアノが息切れするまでにオスティナートを維持するなかで、ソスティヌートのメロディへと飛翔する。空想的で緊張感のある第2楽章は 、シャコンヌ風エスプリの主題と5つの変奏からなる。ヴァイオリンは単音・重音半音階下降したあと、次第に幻想的なヴィルトゥオーゾ的様相をおびながら嘆きを展開する。2つの楽章は、短3度・短2度・ 非対称リズムとトリルが寄せ集められて、メランコリックで不安な共通の性格で結びついている。

初演は2003年11月ラジオ・フランスにおけるシャルロット・ボヌトン(vl) フランソワ・ デュモン(pno)による。
▶︎▶︎▶︎試聴音源 そしてすべてがふたたびはじまると…

■太陽=炎 ヴァイオリンとピアノのための (2013) |T•ペク
ブローニュ・ビヤンクール生まれのティエリー・ペクは、9歳でピアノを始め、コンセルヴァトワールで作曲を学んだのち、カナダ、日本、中国、ロシア、中米などを訪ね、研究をおこない、インスピレーションを世界の文化に求めるスタイルを確立している作曲家である。

この作品は、古代メキシコ文明の5つの時代のコスモロジーを表象する、さまざまな楽器とピアノとのデュオからなる短いシリーズに組み込まれている。メキシコ高原の人々にとって、時の循環と世界の創造は試行錯誤のなかからつくられ、世界の起源から「太陽」と呼ばれる5つの時期(我々はオリオンと呼ば れる5番目の時代に生きている)を経ている。『太陽 = 炎』は、炎の雨によって滅亡した世界の創造の企ての時代を典拠としている。

炎の要素は、傾斜するモティーフあるいはリズム、輝き、旋回する飛翔、宇宙空間に共鳴する衝撃からなり、これらがこの作品の音楽想像の中心となっている。 とてもシンプルな図像をもとに、ヴァイオリンとピアノの真実の対話が生まれる。溶け合う響きと音域のコントラストに 基 づいて演奏される密度をもっと素材を元に、 複雑に入り組んでは遠ざかるラインが展開する。不安を煽る神秘的で神話的な宇宙と、そこから召喚される存在論的ペシミスムが支配している。
▶︎▶︎▶︎試聴音源 太陽=炎

■ハンガリー風に ヴァイオリンとピアノのための (2009) |B•マントヴァーニ
パリ南郊外シャティヨン市生まれのブリュノ・マントヴァーニは、10代後半に南仏ペルピニヤンの音楽学校でピアノ・ジャズなどの勉強を開始、その後パリコンセルヴァトワールで作曲・音楽史・美学・電子音響を学んだ。2010年にはパリコンセルヴァトワールの院長に36歳という若さで就任した、最も注目されるフランスの作曲家のひとりである。

ラ・メイジュのメシアンフェスティヴァルの委嘱により、ハエ=スン・カン(vl) とフロラン・ボファール(pno) のために、ベラ・バルトークのソナタ第2番を参照しながら作曲された。魅力的なこのハンガリ ーの作曲家の、自由であらゆる論理的シェーマから逃れたラプソディ、叙情性とリズムの循環、楽器の響きの融合したフォルム、といったおおくの概念に沿って、この作品を構成した。 垂直の荒々しい身振りは、エクリチュールの必要性から位置付けられ、とらえどころのない対話を表現しながらも、極端に希薄な瞬間に衝突する。書き留められた本物の即興であり、密度のあるヴィルトゥーゾの作品である。連続性のない私の作品カタログのなかでも、 この作品は純粋なエネルギーによるアール・ブリュットの分野に属する。
▶︎▶︎▶︎試聴音源 ハンガリー風に


■夜ひそやかに ヴァイオリンとピアノのための (2011) |J•ルノ
ジャック・ルノはコンセルヴァトワ ール出身の作曲家ではなくまったく独学で作曲を学んだ。独自の美学や音列技法などによりフランスの作曲家の中でも異色な存在である。

この作品は、ドイツの詩人ラスカー=シューラーの詩にインスパイアされて書かれた、アンサンブルのための「散文集」から抜粋されて、二重奏のために編曲された。「あなただけ」「到着」「郷愁」の三部からなり、 点描的で極度に抽象化された表現方法は 、まったく音楽的展開をもたず、音列技法による微妙に操作された音空間を彷徨う。あくまで伝統的な西洋の 技法が貫かれ、例えようのない孤独感や喪失 感を聞くものに与える。
プログラムノート
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(1961)|丹波 明
東京芸術大学卒業後パリ留学前後に「ドビュッシー・メシアンののちには何があるべきかを探し求める創作態度、創作意識をもって」ピアノソロとフルートとピアノのためのソナタとともに書かれたこのヴァイオリンソナタについて2011年の再演時に以下のように説明している。

−−パリ音楽院の枠の中で書き今回の演奏に当たって、数ヶ所手を入れました。第1楽章はヴァイオリンの独奏序奏で始まり、これが若々しい飛躍のある第1主題、瞑想的で透明な第2主題につながります。第2楽章は4度、5度の連続を旋律の主要音程にした緩慢な楽章です。第3楽章は半音階を多く含む主題をフーガ的な書法で処理し、中間部に瞑想的な部分をもつ3部形式で、様式的にも、時間観でも全く古典の概念をでるものではありません。


主題と変奏 ヴァイオリンとピアノのための (1932) |O・メシアン
メシアンのソロ室内楽作品のなかで、ピアノ、オンドマルトノそれにオルガンなどの鍵盤楽器がふくまれているない作品はほとんどないのは、作曲家は意識していないとしても、なにか理由があるのだろうか。

1931年より60年間以上にわたりつとめることになる聖トリニテ教会のオルガニストに任命されてすぐの最初期に書かれたこの作品の構成は、4分の4拍子のモデラートの主題と5つの変奏からなり、各変奏はつながって演奏される。ピアノの4分音符をともなって、ヴァイオリンによる付点記号のついた印象的な短い主題がモデラートで(ゆっくりと)演奏されたのち、つづいて8分音符の細かい曲想へと移行する同じモデラートの第1変奏、テンポのあがった3連音符(8分の12拍子)による第2変奏、さらに細かい拍子できらびやかに演奏される同じモデラートの第3変奏をへて、生き生きとかつ情熱的にテンポをあげて演奏される3連音符が特徴的な第4変奏から、そのまま4分音符の荘厳さをもって奏される第5変奏へと移行し、全体を締めくくる。

作曲家とヴァイオリニストのクレール・デルボスの結婚にさいして作曲され、その後、ふたりによって初演された。。


ソナタ ヴァイオリンとピアノのための (1932) |A・ジョリヴェ
ジョリヴェはすでにピアノのための『3つの時』などを発表していたが、これは『マナ』に代表される傑作群を生み出す前の時代の作品。戦後の作品のような叙情的な表現や旋法的和声語法ではなく、まだ鋭角的な表現が健在である。

音楽語法としてはヴァレーズから受け継いだ独特の音列技法によっているが、ジョリヴェは形式の上では、生涯変わることなく律儀なほど古典的なやり方を貫いており、この『ソナタ』も2つの主題の明確な提示、形式的な区切り等、古典的なソナタ形式に基づいて作曲されている。

第1楽章は、明確な2つのテーマの対峙によるソナタ形式であるが、両主題とも、第2、3楽章と密接な関係を持っている。また再現部において第2主題を先に提示するなど独特なやり方は敬愛していたベートーヴェンの手法を思わせる。

第2楽章は、ほぼ拍節感のない出だしから、だんだん煽る様にテンポは次第に速くなり、緩やかなカーブを描きながら盛り上がる構成や、ピアノの空間的な響きの模索、呪術的な表現等はすでに後の作品を彷彿とさせる。

第3楽章は、一種のロンド形式。大きな音程による強烈なまでのヴァイオリンの感情表現とスタッカートによる打楽器的な主題がコントラストを作る。主題が拡大され曲を締めくくる様は圧巻である。


ソナタ ヴァイオリンとピアノのための (1947) |平尾 貴四男
46歳で世を去った平尾貴四男の作品は決して多くないが、一つ一つが磨きぬかれた書法に支えられ、駄作はないと言ってよい。それらの中でもこの『ソナタ』は、1952年のガロワ・モンブランとジュヌヴィエーヴ・ジョワによるヴァイオリン・ソナタの公募に選ばれ、戦後日本人作品として初めて海外で出版されたように、平尾の晩年の傑作といえる。

第1楽章はモデラートの序奏に続き、律動的な第1主題といささか叙情的な第2主題を含む提示部、2つの主題が拮抗するよりむしろ融合することで音楽的盛り上がりを見せる展開部、ほぼ定石通りの再現と拡大されたコーダ等、古典的なソナタ形式を踏襲しているが、序奏のモチーフが後の楽想と見事に融合し展開する様子や、ジョリヴェのソナタのような明確な区切りではなく、あくまで音楽的な流れを損なわずにフォルムを堅持するなど、手堅い書法は平尾作品の特長といえよう。

第2楽章は、子守唄を想起させる楽想、中間部のスケルツォでは全音音階と5音音階を織り交ぜて使うなどの工夫が見られる。第3楽章は律動的な拍節感で貫かれたロンド形式。ピアノの打楽器的な使用や、ヴァイオリンの素朴ながら凛とした旋律は多分に日本の民謡や和楽器の音色を思わせる。淀みない流れの中にふと序奏のモチーフが浮かび上がるなど、あくまで形式的にはフランクやフォーレのような伝統に根ざしたフレンチスクールのやり方を受け継いでいる。
アルチストの自己紹介にかえて DUO vol.1
カルチエミュジコ ヴァイオリン&ピアノデュオコンセールvol.1
アルチストの自己紹介にかえて

印田 千裕( ヴァイオリン)
カルチエミュジコの演奏会に出演するようになって数年、今回は比較的古い年代のプログラムです。ソナタ3曲を含むリサイタル並みのボリュームでしたが、フランスと日本、時代の流れを体感する良い機会になりました。その後の年代へ進むシリーズ第2回のプログラムも楽しみです。イギリスに留学していた私としては今、EU離脱のニュースが目下一番の関心です。

石井 佑輔( ピアノ)
先日、ルイ・マルの名作「ブラック・ムーン」を初めて見たのですが、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の愛の二重唱が使われる場面が強烈すぎてしばらくワーグナーブームでした。音楽ってこういうものなんじゃないかと思う。
ヴァイオリン&ピアノ 2つのデュオコンセールをめぐって
デュオはユニットを組む場合の最小単位で、音楽では、さまざまな楽器の組み合わせがある。弦楽器あるいは管楽器のみによるデュオではせいぜいそれぞれの2声部が精一杯になってしまうが、ピアノなどの鍵盤楽器がそこにはいると、かなり趣が異なってくる。平均律や和声の問題をべつとしても、声部が数段に増加する。ピアノなどでは左右両手によって、さらにはオルガンなどでは足の鍵盤もふくめて、2声部あるいは3声部で書かれていることもおおく、さらには両手の10本の指で、もっと細かい声部に分けることも可能である。

今回は、昨年の「フランス風ピアノトリオ」を引き継ぐ、ヴァイオリンとピアノのデュオで、フランスを中心としたふたつのプログラムが組まれ、前回同様「フランス風」というのはかわらない。しかし、全体をメシアンの『主題と変奏』から始めるこのふたつのプログラムの作品タイトルだけを眺めてみても、すぐにあきらかな相違に気づかされる。同じ年(第2次世界大戦にむかう1932年)に作曲されたジョリヴェの作品と、フランスで学んだふたりによって戦後に書かれた作品による第一のプログラムでは、メシアン以外はいわゆる「ヴァイオリンソナタ」である。最後に演奏される平尾喜四男のソナタは、パリ留学後に帰国してから書かれた、モデラートの序奏からはじまる急ー緩ー急のメソッドに沿った3楽章の作品である(出版はリュデュック社)。一方、最初の丹波明のソナタは、1960年にフランスに渡って「ドビュッシーに倣って」書かれた作品である。

ソナタ形式は、基本的には序奏にはじまり、第1主題・第2主題による提示部をへて、これらの主題を変形・変奏させた展開部、さらにふたたび第1主題・第2主題による再現部ののちのコーダといった要素からなり、かずおおくの作品にもちいられている。この音楽形式はイタリア・バロック時代には、小規模ながら、すでに興隆をきわめ、つづく古典派において完成の域に到達し、室内楽のみばかりでなく、交響曲あるいは協奏曲でも用いられた。さらにはロマン派においても、この形式は継承されつつ、その枠組みを超えるものが模索されることになる。主題が繰り返されるこのソナタ形式は、さまざまな楽器編成のジャンルにおいても、はじめて楽曲を聴く聴衆にとって、主題が記憶にとどまる仕掛けといえよう。

一方、時代も下った第二のプログラムには、「ソナタ」というタイトルはもはや見当たらない。いずれも演奏時間から小品といえるものであり、このことは短絡的に結びつけられないとしても、ソナタ形式から離別した作曲家たちの宿命といえるかもしれない。フィンランド出身のサーリアホのシベリウス・ヴァイオリン・コンクールのファイナリストのために書かれた小品と、若くして亡くなったカナダ人・ヴィヴィエのミュージック・カナダのコンクールのための作品にはさらに演奏時間の制限があったのであろう。ギトリスにより東京で初演されたタンギィの作品と、メランコリックなふたつの楽章からなるフィンズィの作品、さらには古代メキシコの神話に触発されたペクの作品、そして最後にユダヤ系ドイツ人女性作家ラスカー=シューラーの作品に触発されたルノの作品が、組曲とともに2曲並べられている。

こうしてみると、1960年前後に書かれた丹波明の3部作(ほかはフルートソナタとピアノソナタ)は、いみじくも作曲家自身が語っているように、時代ハズレの遅れてきたソナタといえるかもしれない。このふたつのプログラムを隔てる短い年月の中で廃れてしまったかのようなソナタ形式であるが、将来、新たな形で復活することはあるのだろうか。

テーマ:現代音楽 - ジャンル:音楽

フランス風ピアノトリオのあたらしいかたち
ピアノ三重奏は、弦楽四重奏・弦楽三重奏と比較しても、古典的形式、さらにはバロック時代にまで起源をさかのぼることができる古い形式である。ソナタ形式が確立された古典時代、ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ的要素ともあいまったロマン派時代には、かずかずの楽曲が書かれた。この形式は、前世紀後半には回避され、のちに新古典主義とともに復興したが、今回の作品は、それらとも一線を画するあたらしいかたちとして、フランスの作曲家たちが取り組んできたピアノトリオである。

これらの作品は、1975年から2008年の30年にわたり、ほぼ10年ごとに書かれているが、作曲家の世代に幅があるとともに、書かれたときの作曲家の年齢も大きく異なる。M=A・ダルバヴィ(47歳頃)とP・エルサン(50歳頃)が同年代で書いているのに対し、G・フィンズィ(30歳頃)とB・ジョラス(62歳頃)は大きく異なっている。また作曲された場所を特定するのは困難としても、初演はG・フィンズィとP・エルサンがフランス国内であるのに対し、M=A・ダルバヴィとB・ジョラスは米国の財団の委嘱により米国の音楽家によってNYで行われている。「パリのアメリカ人」以来、交流の深かった両都市の(ヴェクトルは異なるにせよ)関係を想起するなら「ニューヨークのフランス人」という構図になる。

このようなことから、書かれた当時のパリとNYの音楽状況という背景もさることながら、作曲された作曲家の年齢のほうに焦点をあて、それぞれの作曲家の若い頃の作品の順番からプログラムした。

モロッコ・カサブランカ生まれのG・フィンズィは10歳でパリ・コンセルヴァトワールのピアノ科に入学して以来、ずっと作曲家として音楽の道を歩んでいる。オーケストラ作品をはじめ、室内楽・ソロ作品などの多岐にわたる作品は、それぞれの楽器の独自性に留意した書法と、それらがグループとして重層化されたユニットとして、独特のダイナミスム・欲動・色彩・リズムを生み出し、調性をはみだしたハーモニーと半音階進捗によるモダン言語のなかに引力の極を生み出している。

 ▶▶試聴 グラシアーヌ・フィンズィ『トリオ』(抜粋)
 




 〈録音:2011年6月19日 演奏:中澤沙央里(vl.) 関根裕子(vc.) 新垣隆(pf.)
  カルチエデテ2011 グラシアーヌ・フィンズィ コンセールポルトレ 〉


同世代の音楽家のなかでも、オーケストラ作品をはじめとして、世界中でもっとも演奏されているM=A・ダルバヴィは、現代音楽が多様な方向に開かれることを指向し、エレクトロニクスと結びついた音色と音響現象についての探求のなかからも、空間的広がりをもったアコースティックな作品を創り上げている。これまでの音楽がつちかってきた伝統を、あらたなかたちに変化させて、聴衆に届けている。

A・ジョリヴェのクラスに学んだP・エルサンは、文学や映画に自身の音楽言語を探し求め、フランス・ミュージックの番組制作に携わるなど、流派にこだわることなく調性・旋法空間に身をおいた最初の世代である。古典的フォルムを拒否し、過去からの決別を企図した姿勢は、同じトリオの原曲をソロ・デュオなどの組合わせも取入れた斬新さにも聴きとれる。(M・マレの原曲は映画『めぐり逢う朝』で知られている)
 ▶▶試聴 フィリップ・エルサン『トリオ マラン・マレ〈聖ジュヌヴィ
  エーヴ・デュ・モンの鐘〉による変奏曲』(抜粋)
  →ナクソス ミュージックライブラリー
   
米国で音楽の勉強をはじめたB・ジョラスは、パリ音楽院でO・メシアンに学び、ドメーヌ・ミュジカルでもP・ブーレーズに協力した。1975年からアナリゼのクラスを引き継ぎ、声楽作品のみならず器楽作品においても、旋律的・表現的なレシタティヴォとしてのさまざまな声を音楽そのものとしてとらえた姿勢は、若い音楽家たちに多大な影響を与えた。

 ▶▶試聴 ベッツィ・ジョラス『トリオ』(抜粋)
 




 〈録音:2009年4月11日演奏:羽室ゆりえ(vl.) 増本麻理(vc.) 鈴木永子(pf.)
  カルチエミュジコ ヴァイオリン、チェロ&ピアノ トリオコンセール〉

テーマ:現代音楽 - ジャンル:音楽