最近の英語による幼児教育に対する関心の高さとともに、それに対する違
和感ばかりでなく、危惧感をいだくケースにぶつかることも少なくない。
それぞれの地域で話されている言語が、その地の風土によって培われたも
のであって、それを話す人々の意識と緊密に結びついたものであることは
いうまでもないだろう。コンピューターメーカーにおける人工知能の開発
から、脳とことばの研究にたずさわっていた『日本語はなぜ美しいのか』
(黒川伊保子著、集英社新書0374E)の著者は、このような現状に強い危
機感を抱いている。このようなタイトルにもかかわらず、ここでは日本語
の優先性が述べられているわけではない、はずである。編集段階で選ばれ
たようなこのタイトルは、本文中にも出てくるとしても、著者は、すぐに
どのことばに置き換えても成立するはずだ、と付け加えている。
まず大部分の欧米語やアジア語が子音を主体に音声認識しているのに対し
て、日本語は母音を主体に音声認識しているという基本的な相違がある。
「言語を聴く脳の方式」が異なるのであり、言語を聴く左脳と音響効果音
を聴く右脳という機能が異なるため、日本人(日本語を母語とする人)は、
母音を左脳で聴いているのに対して、子音骨格で音声認識する欧米人は母
音を右脳でぼんやりと聴いていることになるという。このような音声認識
の単位(音韻単位)に対して、それぞれの仮名を与えている日本語は、意
味とはべつに聴き取れれば書き取れ、日本語の識字率は高いとともに、日
本人にとって拍にしばられないメロディアスな欧米語が難解な理由はここ
にある。日本語には、歴史的にも音韻と直接結びついたことばが多く、こ
とばと意識と所作、情景が一致している言語であるという。
また、脳は地球の自転と公転を感知しているという最近の研究から、東を
むいたときと西をむいたときの意識のずれについてふれる。このことは歴
史上の文明の伝搬のながれにも結びつく興味深い指摘であろう。
いづれにせよ、性差についてなど、いくつか論理の飛躍があるにせよ、母
語は、自然に耳に入るものであり、放っておけば自然に喋れるようになる
というのは間違いであり、むしろ脳が3歳までに最初に出会う母語は、そ
の言語を母語とする主たる保育者と触れ合いながら、(おそらく、その言語
か形成された風土のなかで)口頭で伝えられていくことが必要であり、母
語獲得の臨界期は8歳であるという指摘は重要であろう。さて、わたした
ちは音楽を音響効果音としてのみ聴いているのだろうか。右脳で聴くとい
われている音楽を、左脳で聴くことも、きっと可能なのだろう。
MM
和感ばかりでなく、危惧感をいだくケースにぶつかることも少なくない。
それぞれの地域で話されている言語が、その地の風土によって培われたも
のであって、それを話す人々の意識と緊密に結びついたものであることは
いうまでもないだろう。コンピューターメーカーにおける人工知能の開発
から、脳とことばの研究にたずさわっていた『日本語はなぜ美しいのか』
(黒川伊保子著、集英社新書0374E)の著者は、このような現状に強い危
機感を抱いている。このようなタイトルにもかかわらず、ここでは日本語
の優先性が述べられているわけではない、はずである。編集段階で選ばれ
たようなこのタイトルは、本文中にも出てくるとしても、著者は、すぐに
どのことばに置き換えても成立するはずだ、と付け加えている。
まず大部分の欧米語やアジア語が子音を主体に音声認識しているのに対し
て、日本語は母音を主体に音声認識しているという基本的な相違がある。
「言語を聴く脳の方式」が異なるのであり、言語を聴く左脳と音響効果音
を聴く右脳という機能が異なるため、日本人(日本語を母語とする人)は、
母音を左脳で聴いているのに対して、子音骨格で音声認識する欧米人は母
音を右脳でぼんやりと聴いていることになるという。このような音声認識
の単位(音韻単位)に対して、それぞれの仮名を与えている日本語は、意
味とはべつに聴き取れれば書き取れ、日本語の識字率は高いとともに、日
本人にとって拍にしばられないメロディアスな欧米語が難解な理由はここ
にある。日本語には、歴史的にも音韻と直接結びついたことばが多く、こ
とばと意識と所作、情景が一致している言語であるという。
また、脳は地球の自転と公転を感知しているという最近の研究から、東を
むいたときと西をむいたときの意識のずれについてふれる。このことは歴
史上の文明の伝搬のながれにも結びつく興味深い指摘であろう。
いづれにせよ、性差についてなど、いくつか論理の飛躍があるにせよ、母
語は、自然に耳に入るものであり、放っておけば自然に喋れるようになる
というのは間違いであり、むしろ脳が3歳までに最初に出会う母語は、そ
の言語を母語とする主たる保育者と触れ合いながら、(おそらく、その言語
か形成された風土のなかで)口頭で伝えられていくことが必要であり、母
語獲得の臨界期は8歳であるという指摘は重要であろう。さて、わたした
ちは音楽を音響効果音としてのみ聴いているのだろうか。右脳で聴くとい
われている音楽を、左脳で聴くことも、きっと可能なのだろう。
MM
ワキ的世界への旅
能楽を観たことのあるひとならば、どうせやるならワキより、シテ」
と思うだろう、と『ワキから見る能世界』(NHK出版生活人新書195)
の著者である能楽師の安田登もあとがきで書いている。それらの相
違は、たんなる配役によるもの、あるいは、ワキの経験を積んでか
ら、シテをやる、という程度にしか思われていないのだろう。しか
し、一度きめたら変えられない「役」として、20代なかば過ぎから
謡の稽古をはじめた著者は、分別をもってシテではなく、ワキを選
んだ。
その理由のひとつとして、ワキの代表的登場人物である、一所に定
住せず諸国を漂泊する旅の僧の存在に強く魅かれたからだと、それ
までの本人の旅において、日常生活では出会えないような遭遇が、
予期しなかった形で起こったことに触れる。
そして、ワキ(だけ)が、異界に紛れ込んで、思いを残してこの世を
去った亡霊であるシテに出会うことができるのはなぜか、というこ
とを著者は考えていく。不可視の存在であるシテを観客に分からせ、
この世でのシテの思いを晴らすのがワキの役目である。
かといって、ワキはどちらかというと、無力な存在であり、むしろ、
そのような役割を自覚していたのでは、それを果たせないのだとい
う。そのようななかで、芭蕉や漱石をはじめ、さまざまな人たちが、
ワキの旅をしていることに気づいたのである。
もちろん、そういった旅を誰しもができるわけではない。添乗員つ
き団体「ツアー」でも、忙しい日常生活から逃避する「トラヴェル」
でもだめなのだろう。目的地ではなく、そこへ到着するまでの過程
が大事なのだと著者も述べている。
旅先に何があるのかわかっているのなら、ましてや、いいものがあ
りますよという口車にのるのなら、わざわざ出かけてみることはな
い。そこにたどりつくまでに、何があるのかわからないから、わた
したちは、さまざまな日常のしがらみを断ち切って、自分自身の企
図でもって、あえて旅立つのであろう。
そのような旅において、能世界に見立てること、俳句を詠むこと、
そして読書することを著者はすすめている。そのためには十分な準
備が必要なのだろう。いうまでもなく、ここに書かれている「旅」
は「人生」に置き換えてもいいのだろう。ここでは、準備期間のな
い人生が、いかにして豊かな旅へと結びつくのか、についてのひと
つの方向が示されている。
ワキから見る能世界(NHK出版生活人新書195) →Amazonで見る
能楽を観たことのあるひとならば、どうせやるならワキより、シテ」
と思うだろう、と『ワキから見る能世界』(NHK出版生活人新書195)
の著者である能楽師の安田登もあとがきで書いている。それらの相
違は、たんなる配役によるもの、あるいは、ワキの経験を積んでか
ら、シテをやる、という程度にしか思われていないのだろう。しか
し、一度きめたら変えられない「役」として、20代なかば過ぎから
謡の稽古をはじめた著者は、分別をもってシテではなく、ワキを選
んだ。
その理由のひとつとして、ワキの代表的登場人物である、一所に定
住せず諸国を漂泊する旅の僧の存在に強く魅かれたからだと、それ
までの本人の旅において、日常生活では出会えないような遭遇が、
予期しなかった形で起こったことに触れる。
そして、ワキ(だけ)が、異界に紛れ込んで、思いを残してこの世を
去った亡霊であるシテに出会うことができるのはなぜか、というこ
とを著者は考えていく。不可視の存在であるシテを観客に分からせ、
この世でのシテの思いを晴らすのがワキの役目である。
かといって、ワキはどちらかというと、無力な存在であり、むしろ、
そのような役割を自覚していたのでは、それを果たせないのだとい
う。そのようななかで、芭蕉や漱石をはじめ、さまざまな人たちが、
ワキの旅をしていることに気づいたのである。
もちろん、そういった旅を誰しもができるわけではない。添乗員つ
き団体「ツアー」でも、忙しい日常生活から逃避する「トラヴェル」
でもだめなのだろう。目的地ではなく、そこへ到着するまでの過程
が大事なのだと著者も述べている。
旅先に何があるのかわかっているのなら、ましてや、いいものがあ
りますよという口車にのるのなら、わざわざ出かけてみることはな
い。そこにたどりつくまでに、何があるのかわからないから、わた
したちは、さまざまな日常のしがらみを断ち切って、自分自身の企
図でもって、あえて旅立つのであろう。
そのような旅において、能世界に見立てること、俳句を詠むこと、
そして読書することを著者はすすめている。そのためには十分な準
備が必要なのだろう。いうまでもなく、ここに書かれている「旅」
は「人生」に置き換えてもいいのだろう。ここでは、準備期間のな
い人生が、いかにして豊かな旅へと結びつくのか、についてのひと
つの方向が示されている。
ワキから見る能世界(NHK出版生活人新書195) →Amazonで見る

