音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
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さて、その頃のペニッシュオペラには、1年の半分の期間しか、こ
のサン=マルタン運河での係留許可がでないため、(船を手に入れ
るよりも、その係留許可をとることのほうがはるかに難しいし、係
留場所は自分たちの活動の生死をわけるほど重要だと強調されてい
た)残り半分をべつの場所に移動しなければならない、と写真を紹
介されながら説明を受けていた。

それらのなかには、この赤と緑に塗り分けられた二艘のペニッシュ
が、田園風景のなかを航行しているところや、運河に囲まれたアム
ステルダムの市街地に停泊している写真もあったし、ここのサン=
マルタンで氷に閉ざされてしまっている写真もあった。

実は、ヨーロッパ中が、北海から地中海へと、河川と運河によって
つながっている、ということもそのときに知った。それらの河川や
運河は、もともとは貨物の輸送という役割のために、現在の道路が
つくられるように整備されてきたのだろう。

このサン=マルタンのように、観光船が主に通行することになって
も、このフランスの大都会においても、まだまだ多くの物資が水運
を利用されているのだろう。それらの詳しい地図も発行されていて、
のちになって、いくつかを入手した。

もちろん、ペニッシュオペラは、観客を乗せて移動したりするわけ
ではないけれど、さまざまな土地へ出向いて行って、そこの観客の
ために、オペラ公演を行っている。このシーズンもプラハまで行く
といっていた。

そんな話を聞いていたからでもなく、いちど、サン=マルタン運河
に沿って歩いてみることにした。セーヌのオルセ美術館の近くから
かどこかから、こちらのほうへまでくるクルージングがあるが、ま
だ乗ったことはない。

地図で見ると、サン=マルタンとセーヌはつながっていないように
しか見えないが、セーヌのサン・ルイ島からすこし上流に、右岸の
バスティーユ広場ほうにまで入りくんだ、ボートの係留地となって
いるアルスナル港があり、開けた周辺の公園ともども、ひとびとの
憩いの場になっている。夏には水に飛び込むひともいるようだ。

そういえば、パリに海岸がないのは、よほど悔しいのか、(それと
も夏休みに南仏へヴァカンスへ行けない人たちのためなのか)セー
ヌにプールを浮かべるだけではもの足りず、最近になって、夏の期
間中だけ、セーヌ河岸に砂浜をもちこんで海岸をつくるようなこと
までやっているけれど、水量の多いセーヌで泳げるわけではない。

そのバスティーユ広場から先は、サン=マルタンはレピュブリック
広場近くまで、リシャール・ルノワール大通りの真ん中の公園の地
下をくぐっているのである。

いつか、この地下のトンネルの部分に幻想的なライティングがほど
こされたことがニュースとなってからは、観光船の乗客をたのしま
せているのだろう。パリ滞在中も、あまり観光地へ行ったりはしな
いけれど、やはりいちどは乗ってみたほうがいいかもしれない。最
近、運行会社もふえたようだ。


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横浜に来てもらうことになっていたペニッシュオペラのディレクト
リスへの取材のためにお正月休みを利用して急遽、パリまでやって
きたときには、セーヌを渡った右岸のことはほとんど知らなかった。

現在のようにインターネットもなかったときに、どうにかこうにか、
残りわずかな公演予定日を確かめてから、(お正月といっても、ク
リスマス休暇のあるパリでは元旦が休日なだけだけれど、そんなこ
ともあまり知らなかった)航空チケットを予約した。

朝、東京を発って、夕方はやく滞在先のアパルトマンの引き継ぎを
すませてから、同じ日のうちに、サン=マルタン運河に沿って並行
に走るバスに乗って、何とかあたりをつけていた停泊先まで駆けつ
けた。メトロからも遠くないことに気がついたのはあとからだ。

連絡をしていたため、いろいろな資料を手渡されながら、かといっ
て、それらに目を通すまもなく、二艘のペニッシュを案内されてい
るうちに、しばらくすると、お客が集まりはじめ、まったく知らな
い作品の公演の予習どころではなかった。

その夜は、ふたつの作品がプログラミングされていて、狭いペニッ
シュの舞台を転換する代わりに、後半の作品を観るために、何と休
憩時間中に観客がべつのペニッシュのほうに移動するのだ。

コートも着ないで外に出ると、凍えるほどでもなかったパリの冬の
夜は、舞台の熱気をさますのにちょうどよかった。べつのペニッシ
ュに移った観客たちが、ヴァン・ショ(ホットワイン)を飲んでい
たことをよく覚えている。ちょうどよかったのは、わたしだけだっ
たのかもしれない。

翌日も、写真を撮るためにはやめに訪れて、日曜日の遅いマチネの
最終公演をもういちど聴いた。こうしてみると、この作品は、べつ
の機会にパリででも、あるいはべつの場所ででも公演されることも
あったのかもしれないけれど、もう、けっして観たり、聴いたりす
ることはできないのだろう。たとえば、映画などと比較しても、そ
れは明らかなことだ。

わたしは、ときどき、ヴィデオに撮ったりしないの? と相手から
同じ答えがかえってくることがわかりきっているのに、折につけ同
じ質問を繰り返してしまう。もしかしたら、音くらいとっているの
かもしれないけれど、その存在を教えられたことはない。

それらは、わたしたち聴衆のわずかな記憶のなかに残っているだけ
だ。そのことがどういったことを意味するのか、以前よりはすこし
はわかるようになったけれど、わたしにはまだ、本当には、なかな
か理解できていないのだろう。

→→→→→ラ・ペニッシュ・オペラについてのレポートと図面入り
ポスター(A2版4折り、日本語版、1998年)を希望のかたにお送
りします。メーリングリスト登録フォームから、送付先住所とその
旨、ご記入の上、お申し込み下さい。


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ペリフェリックとよばれる、パリの境界を走る環状道路を背景とし
たヴィレット公園には、コンペティションの前からもともとあった、
マルシェの鉄骨とガラスの建物やセーヌとマルヌを結ぶヴィレット
運河など、さまざまなものが組み込まれている。公園の中心部を横
切る運河を、市内の中心部のほうへ戻ると、もう一回り小さな昔の
境界線上を高架で走るメトロ2号線のそばの昔の税関の建物ヴィレ
ット門までの水面は幅も広びろとして気持ちがいい。

管理された運河の水量は、セーヌと違って上昇することもなく、遊
歩道すぐ近くまで水面が迫っている。ましてや、どこかのように安
全性のためだけにフェンスが設けられているわけでもない。このよ
うにして都市の風景はあきらかに変わってくる。例のフォリィは、
コンペの敷地をはみ出したこの運河沿いの同じ軸線上にも並べて提
案されていた。もちろん、その部分は予算などつかないけれど。

そのヴィレット門ちかくに、二艘の赤と緑に塗り分けられたペニッ
シュとよばれる平底河船が浮かび、そこで、室内オペラを上演して
いるひとびとに出会ったのは、もうひと昔ちかく前の話だ。そのこ
ろは、ヴィレット門の内側のすぐの、サン=マルタン運河のほうに
係留していたが、河幅も狭くあまりよい場所ではなかった。

今回の滞在中に、このペニッシュでの公演がないことは、出発前か
ら知っていたけれど、当日の朝になって、元アドミから連絡があっ
て、プログラムはよく知らないけれど、一日中、身体振りとか人形
遣いとかのスタージュをやっていて、久しぶりに行くからくれば、
と連絡をもらっていた。オペラをやっていても、当然のことながら、
このような課題も重要なのだ。

すでに午後遅く、べつの劇場の予定をいれてしまっていたけれど、
そこからもすぐだし、ちょっと顔をだすことにした。待ち合わせて
いたカフェは閉まっていて、そのとなりにできていたペニッシュの
事務局の前に貼ってあったちらしを眺めながら、別の新しいカフェ
にでもはいろうかと思案しながら相手を待っていた。こうして劇場
があると、カフェなども増えてくるのも、あたり前のことだろう。

ペニッシュでは、ディレクトリスみずからが扉を開けてくれた。議
論沸騰というほどのこともないけれど、参加者全員がまちまちに意
見を述べ、(こういうやりとりが、やらせ、などなくとも、当たり
前にできることは、いかに健全なことだろうか)コンフェは、まも
なく、お昼休憩になってしまい、どうするのというので、残ること
にすると、ワインとリエットのお皿を出してくれた。

最初にここにやってきたときは、とにもかくにも、はじめてのこと
で、河船の構造やら、舞台の設営やら、そのときやっていた公演の
奇妙な舞台装置に、おどろくばかりで、こうして、ゆっくりと(も
ちろん、その後何回か、公演を聴きに来ていたけれど)丸窓から覗
き見る、すぐ近くの水面の揺らいでいる波などをながめる余裕なん
てなかった。

以前には走り回っていたここのディレクトリスも、今回は、ゆった
りと落ち着いて、みなに気を遣っているのがおかしかった。食事が
終わって、ちょうど、午後の部が始まるときになって失礼すること
にすると、ここはレストランじゃないのだから、つぎは公演を観に
来るようにと、釘をさされてしまう。

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そのコンセルヴァトワールが移転したヴィレット公園は、1980年
代前半に大規模な屠殺場跡地を敷地として国際コンペティションが
おこなわれ、東西南北の碁盤目状に一定の間隔で、狂気を意味する
フォリィと名付けられた赤いピマン色の小建築物(それらは一種の
ゲートをなす案内所だったり、トイレだったり、ほとんど建築物と
もよべないオブジェだったり、大きさ形状はさまざま)を配置し、
それらを渡り廊下のように波打った屋根が結んでいる、という提案
をした建築家の案が選ばれて、数年をかけて実現した。

公園の南端に位置するコンセルヴァトワールとその向かいのシテ・
ドゥ・ラ・ミュジークは対をなすように(形状がではない、為念)
配置されている。楽器博物館や音楽図書館、現代音楽センター、コ
ンサートホールそれにカフェなどで構成されるシテのほうは、展覧
会やコンサートなど多彩で変化にとんだ膨大な年間を通したプログ
ラミングで多くのひとびとをひきつけている。ガムランの部屋(た
ぶんジャワの)をはじめ、実際に楽器を演奏するコースも開放され、
とくに子供向けのプログラムが揃っていることはいうまでもない。

ここのコンサートホールは、かの地の作曲界の御大が創設した現代
曲専門のオーケストラ、アンサンブル・アンテルコンタンポランが、
サントル・ボブールから移ってきて、本拠地としている。指揮者と
しても名高いこの作曲家のコンサートは早めに予約したほうがいい
よといわれながらも、当日になって、それも曜日が間違っていたこ
とに気づいて、朝、あわてて予約をいれた。

それにもかかわらず、室内オーケストラという編成だったからなの
かどうか、ステージ上手側の天井桟敷の席まで辿り着くと、今日は
空いている席に座っていいからといわれて、2階正面の特等席に案
内してもらった。いつか、写真で見ていて想像していたより、ずっ
と親密な空間ではるかに音響もよかったことに驚いたことがあった
が、ホール内部だけでなく、このシテ全体を設計した建築家の空間
にも、あらためて感心していたのである。

同じ建築家のコンセルヴァトワールのほうにも、なるべく早く機会
を見つけて行ってみようと思う。かの地では、膨大な公的予算と助
成が組まれている教育機関が、学生たちだけに対してではなく、ご
く当たり前に、その活動を一般に公開している。

数年前に東京で初演された一曲目の新しいヴァージョンでの再演と、
最近ひっぱりだこの若い作曲家への委嘱作品(このようなオーケス
トラの存在によって、日常的に新しい作品が委嘱され、演奏される。
どのように選ばれているのかは、気になるところだが)の前半のあ
と、後半の指揮者自身の作品は、この作曲家のつねとして、1980
年代後半から作曲され、初演された後、今回もあらたに手を加えら
れて演奏された。もちろん、その具体的な変遷の経緯を、ここで説
明できるわけではないけれど。

ミストレスをはじめ、アルチストたちは、出だしからの困難なパッ
セージに忙しそうにもかかわらず、アンサンブルの縦線を合わせる
のに汲々としているこの地のプレイヤーたちとは異なって、むしろ
楽しみながら、とても旋律線ともよべない横線を、表情豊かにメロ
ディアスに見事に描いていた。(それが過剰にまでならないのは、
この指揮者・作曲家の特質なのだろう)

およそ40分にもわたる長大な流れのなかで、その忙しさが究極にた
っして終了したときに、わたしは、この曲を聴くために、今回、い
ちまんきろを移動してきたのかもしれない、とまで(そんな言説は
不要だろうけれど)思ってしまったのである。

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そのローマ通りの楽譜店のあるサン=ラザール駅の裏側には、この
他にも、マドリッド通り、ロンドン通り、コンスタンチノープル通
り、ウィーン通り、サント=ペテルスブルグ通り、エジンバラ通り、
ナポリ通り、リスボン通りがヨーロッパ広場を中心に集まり、ちょ
っと離れて、アテネ通り、ブダペスト通り、アムステルダム通り、
ベルン通り、トリノ通り、モスクワ通り、ブカレスト通り、とヨー
ロッパ中の都市が揃っている。

おそらく、リヨン駅やオーステリッツ駅、モンパルナス駅、それに
北駅・東駅と行き先別に異なるパリのターミナルのひとつ、国際列
車が発着するサン=ラザール駅のせいなのだろう。もちろん、この
ような大都市の元の本物のほうもひとつふたつを除いて、ほとんど
知らない。

わたしはパリのなかでも左岸派(今回はじめてセーヌ右岸のモント
ゥルイユに滞在したけれど、そこは正確には、もうパリ境界の環状
高速道路の外側だと友人に笑われた)で、どちらかというと、いつ
か雑誌で特集されていた「パリの村」といった風情の界隈のほうに
興味があるので、残念ながら、名を地図から書き写しただけのそれ
らの通りをまだ知らない。

そのなかでも、音楽といえばイタリアなのか(そんなステレオタイ
プな)、楽譜店や楽器店がローマ通りに集まっているのがおかしい。
ヴィレットに移ってしまったコンセルヴァトワールがあった(もっ
と若い子供たちのための「高等」のつかないほうのコンセルヴァト
ワールはまだここにある)からなのだろうけれど、その名のいわれ
を知らない。

この通りのそれぞれの楽器店などの、それこそ、「左岸のピアノ工
房」のような、それぞれの物語を知るべくもないし,もちろん、何
をといってもとめるものがあるはずもないけれど、外からのぞいて
いるだけでも楽しい。
作曲家との対話
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パリから東京短期滞在中の作曲家から
作品に対する解説をききました。

楽譜を読み取ることの限界なのでしょうか、
楽譜という記譜法の不完全さなのでしょうか、
作曲家本人から語られる、
30年ちかく前に作品が書き上げられたときの、 
4頁の小節線のない18段の五線譜のなかにこめられている、
測りしれない想いが伝わって、
貴重で得難い経験でした。

ピッチカートとアルコの音のひとつひとつ、
それらによる点と線の組み合わせ。
そして短い休符と長い沈黙。
点と線の対立・葛藤のなかにも、
全体のながれと区切りをつかむことが、
いかに重要であるか、
に思いいたる密度の濃い時間でした。

この測りしれない想いを、
いかに自分のことばとしていくか、
その道程の入口の階段の下にいるこれから、
段をひとつひとつのぼっていかなければなりません。