音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
11/22のコンサートを聴いた! 〈QM32〉

◆John Cage "Eight Whiskus"
 ジョン・ケージ『8つの笛吹きハイク』


■コンセールモノローグ
昨日、大泉学園駅前のゆめりあホールで20世紀の無伴奏ヴァイオリン作品ばかり集めた「コンセール モノローグ」という演奏会に行きました。
演奏は富山ゆりえさん。
「カルチエミュジコ」という近・現代音楽の演奏会シリーズをずっと主催なさっておられ、昨日のコンサートもその一環でした。

富山さんとはずっと以前に、東京メロス室内管弦楽団という指揮者なしの室内オーケストラ(たまにゲストで指揮者をお迎えすることもありましたが)でご一緒していました。
その後長らくお会いしていなかったのですが、共通の友人と今年の春カルチエミュジコのコンサートでデュオをなさったのを私が聴きに行き、久々に再会したのです。
富山さんの飾らない演奏スタイルと柔らかくてきれいな音色は、前衛的な作品もぶつかり合う不協和音も、より受け容れ易く親しいものに感じさせてくれます。

自分自身の生きる時代に生まれた音楽に、演奏することで生命を与えて行くことは、演奏家にとって大切な使命の一つ…着実に、そして積極的にそれを実現なさっている富山さんを心から尊敬し、素敵だと思います
私も自分なりのスタイルで、この分野にしっかりと取り組んで行きたいと思います
ヴァイオリニストぬりやの音楽便り

■とても興味深いことばかりで、おもしろいだけでなく、想像力が動かされました。詩がうかんでくる感じがすばらしかったです。〈RM〉

■富山ゆりえソロヴァイオリンコンサート
22日(土)の午後「コンセール・モノローグ」というコンサートを聴いた。富山ゆりえさんが無伴奏ヴァイオリンで現代曲をやるというプログラム。三善晃、ジョリヴェ(近頃よく聞くような気がする)、デュサパン、フィンチ、サーリアホ(この人も近頃よく聞く名前)、ブーレーズ、ケージといった人たちの作品。ジョリヴェの「狂想曲風組曲」が、こんな音楽ははじめて聴く、といった感じの音楽になっていて印象に残った。いずれの曲にしても非常に集中力を感じさせる真剣みのある正確な(と聴こえた)演奏で、空気が引き締まるようだ。富山ゆりえさんというヴァイオリニストは初めて聴くが、終演後お話してみると、とても誠実で、眼差しのとてもきれいに澄んだ方だった。会場は大泉学園ゆめりあホール、こじんまりとしていて、音の響き方もよく、室内楽をやるにはよさそうなホールだ。大泉学園駅のすぐそばにある。このコンサートの主催はカルチエミュジコというところ(設計事務所ケ・アントラクトの活動第二部門、らしい)。現代音楽ばかりの構成で、精力的な製作といえる。実際の運営が大変だろうけど、代表の松原さんは終始快活であった。ステージ上で彼の話(意図とか主張とか)を聞きたいと思った。来年1月と4月にも、今度はそれぞれデュオ、トリオという構成で同じ場所でコンサートが開かれる予定になっている。洪水HPのイベント情報頁を参照してください。
洪水~漂流記録~

■それぞれに個性がある曲を楽しませていただきました。
プログラムの解説を読むと、もう1度聴きたくなる興味が
沸いてきますね。(M.S.)

■作曲家は文章が「うまい」ような気がします。
音を組み立てることと、何か共通点があるのかもしれません。
コンサートの、一曲目を聴いて、
十代の頃、三善晃の文章にひかれていたことを思い出しました。
富山さんの演奏が、その記憶を呼び覚ましたのです。

「ヴァイオリン コンセール モノローグ」・・・
カルチエ ミュジコで富山さんの演奏を聴くようになって何年?
いつも、お仲間と一緒で、今度こそ、富山さんのソロをたっぷり聴ける!
いつも穏やかで、控えめな富山さんですが、
もしかしたら、別の富山さんが覗けるかしら? 楽しみでした。(富山さんごめんなさい)

富山さんの演奏の「句読点」、音楽に対する「主張」と「意志」を感じました。
(日本の器楽奏者に「句読点」のない人が多いのには腹が立ちます)
本当に、素敵な演奏会をありがとうございました。

ブーレーズの作品に心惹かれました。
ブーレーズは確か筆も立つようでしたが、どんな文章を書くのか
演奏を聴きながら考えていました。
(J.S.)

■先日の演奏会、ヴァイオリニストの気持ちが、客席にまで届く良い演奏でした。
古典だろうが、前衛だろうが、気持ちの伝わって来る演奏は、聴いている者も理解出来た気になれます。
また是非、ソロの演奏会をお聴きしたいです。(K.B)

テーマ:現代音楽 - ジャンル:音楽

カルチエのコンセール 2009/11/22
QM32tracte-2QUARTIERS MUSICAUX
Yurie TOMIYTAMA violon
CONCERT MONOLOGUE

カルチエミュジコ
富山ゆりえ ヴァイオリン
コンセール モノローグ

  20世紀への懐古
  RETROSPECTIVE DE XXème


2009年11月22日(日)14h00開演
14h00 Dimanche 22 novembre
大泉学園ゆめりあホール
西武池袋線大泉学園北口
Yumeria Hall, Oizumigakuen, Sortie Nord,
Ligne Seibu-Ikebukuro,




■ヴァイオリンのための鏡 | 三善晃
□ Miroir | Akira MIYOSHI (1933-)

■狂詩曲風組曲 | アンドレ・ジョリヴェ
□Suite rhapsodique | André JOLIVET (1905-74)

■イチ | パスカル・デュサパン
□Iti | Pascal DUSAPIN (1955-)

■こわがり | グラシアーヌ・フィンツィ
□Phobi | Graciane FINZI (1945-)

■ノクターン | カイヤ・サーリアホ
□Nocturne | Kaija SAARIAHO (1955-)

■アンテーム | ピエール・ブーレーズ
□Anthèmes | Pierre BOULEZ (1925-)

 et John CAGE (1912-1992)

11h00-12h00 公開舞台稽古
(入退場自由、未就学児歓迎)

入場料(自由席)
一  般 3000円
学  生 2000円
(会員は各¥ 500円引き)
未就学児 100円
カルネ 10000円(4枚綴)

◆カルチエミュジコの会員を随時募集しております。
 会員募集の詳細


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カルチエミュジコ
entracte@m.email.ne.jp

TEL 03.34.15.89.16.
FAX 03.34.15.89.17
QM 2009年11月22日 コンセールモノローグ曲目解説
三善晃『ヴァイオリンのための鏡』
1933年生まれの三善晃は、合唱曲をはじめとして、さまざまな編成の多くの作品がある。1984年に書かれたヴァイオリンのための『鏡』は全体は短い5つの部分に分けることができるが、通して演奏される。曲はニュアンスの少ないなかで静かに始まるが、テンポをあげるとともに、つぎの複雑なリズムで激しい動きの部分に移行する。やがて静かになり、印象的な「シ」の音でつぎにつながる。できるだけ速いテンポで強い音を演奏するように指示されたカデンツァ風のパッセージ。もっともながいつぎの部分は静かに始まり、次第に激しい高揚に至ったのちに静かに閉じる。最後は、冒頭を回顧するような静けさが戻り、曲の最初の小節へと逆に進行して、全体を閉じる。

アンドレ・ジョリヴェ『狂想曲風組曲』
エドガー・ヴァレーズに触発されて作曲活動を開始したアンドレ・ジョリヴェの、晩年になって書かれた独走楽器のための作品のひとつである、『狂想曲風組曲』では、作曲者がこだわる5曲からなる。最初のアラブ風民族音楽の色彩の濃い「前奏曲」に続いて、つづく静かでゆったりとした「アリア」には小節線は数本しかなく、低弦をつかった高い音のポジションでの演奏が指示され、旋律を奏でる。終盤にはさらにテンポが緩んで曲を閉じる。「間奏曲」では「ラ」の弦が四分の一音高く調弦されて、この開放弦で演奏される「ラ」のみ微分音となる。全体に弱音器をつけて駒の近くで演奏され、中間部は日本の民謡を彷彿とさせられる。つづく「アリア2」も弱音器がつけられたまま演奏され、グリッサンドが特徴的な短い対比的なアリア。歌とかけ声による踊りの終曲によって全体を閉じる。全体を通じて小節線が少なく、表題通りのラプソディー(狂詩曲)の色彩が支配している。

パスカル・デュサパンの『イチ』
パスカル・デュサパンの『イチ』は、1980年代に多く書かれた器楽独奏のための作品のひとつで、ほかの作品同様、アルファベット「I」ではじまるタイトルをもっいる。メロディを描く揺れ動く一本のラインが美しい。小節線はなく、それぞれの拍は細かいリズムに分割され、短い移行のなかで急激に変化する細かいニュアンス記号が記されている。指定箇所以外ではヴィブラートをかけずに演奏する。それによって多く使用されている微分音の音程の差も、効果を表す。

フィンチ『こわがり』
モロッコのカサブランカ音楽院教授であった両親のもとに生まれたG・フィンチは、生地でピアノをはじめたのちパリ音楽院で学ぶ。1990年に書かれたこの『こわがり』は、嬰へから嬰ハの五度音程のなかの、ロ・変ロの音を除いた6音を基に曲が成り立っている。不安げに始まるモチーフが繰り返され、あるときは緩みながらも最後にその恐怖心は頂点に達する。

サーリアホ『ノクチュルヌ』
フィンランド出身のサーリアホは、シベリウス・アカデミーで作曲を学んだ後、1982年に、パリにイルカムでの研究をきっかけとして、パリに在住している。それ以降の彼女の仕事は、スペクトル派のなかにあり、「響きの軸」「響きのなかのよいざらざらとしたテクスチュアが不協和音のなかで協和音と同等に扱われている」ことが特徴であるとされる。この『ノクチュルヌ』は、ポーランドの作曲家ルトスラフスキィーにオマージュを捧げるために、アヴァンティ室内アンサンブルから委嘱によって、1964年にヴァイオリン協奏曲とともに書かれ、同年ヘルシンキで初演された。曲は、解放弦のラから静かに始まり、中間に細かい音符の動きのある部分をはさみ、静かに終結する悲哀に満ちた作品。フラジオレット(倍音)の効果が特徴。実音とフラジオレットのトリルが多く用いられている。

ピエール・ブーレーズ『アンテーム1』
1925年生まれのピエール・ブーレーズの『固定された爆発』の最初のヴァージョンがもととなって、ヴァイオリン・ソロにふさわしい音楽テクステュアをもったものに変更・増殖された作品。曲はいくつかの部分に分かれ、テンポの速い部分と遅い部分の対比がきわ立っている。コントラストの強いダイナミーク、弓の位置指定などの奏法が細かく記載されている。小節ごとに拍子がかわり、そのなかでの速いテンポでの連続の重音ピッツィカート、トリルをかけながら同時に他声部でメロディを演奏するなど、ヴィルチュオーゾ的要素の多い作品。なお、この作品をもとに、コンピュータ音響にリンクさせて、演奏を増幅・変形させる『アンテーム2』がある。

あとジョン・ケージ
曲名は当日発表
京都のブーレーズ2009
京都コンサートホールで行われた京都賞ウィークのブーレーズによるワークショップでは、3台のピアノと3台の打楽器と3台のハープのための『シュル・アンシーズ』が取り上げられた。当初予定されていたブーレーズは指揮をしなかったのは残念だが、急遽札幌交響楽団の高関健が指揮者として招聘され、37分ほどかかる作品の4つの部分、冒頭の交互に現れるふたつのモードの部分と、テンポが加速度的にアップするこの作品の中核である第一部の最後と第二部のイントロと対比的なコーダの部分が取り上げられた。当初、プログラムをみながら、通して演奏しないことを訝しく思っていたが、コーディネーターの長木誠司による説明のように、ルツェルンで行われているワークショップ同様、これらの曲の部分が、楽器のパートに分かれ、あるいはテンポをかえて繰り返される演奏をまじえながら、作曲者自身による分析的な解説によって、あたらしい音楽への理解が深まることを実感できた。

編成に関しては、メインの第一ピアノが中心としてあり、それを左右で支える二台のピアノが補足していること、ブラームスで終焉したコンチェルトとしてではなく、あえてあげるなら、ストラヴィンスキーの『4台のピアノ』やバルトークの『2台のピアノと打楽器』に類似性をみとめることもできると説明していた。これらのピアノにマリンバやティンパニーを中心として若い頃の旅先の南米マルチニック島などで見いだしたスチール・ドラムをふくんだ打楽器には鏡像的に音色を対比をもとめ、ハープがアクセントレーションを補強するという意味合いである。また、指揮者の身振りに注目してくださいと述べていたことが印象的だった。

前後、入れ替わってしまった後半の、野平一郎との対話のなかでは、まず、この作品が4分ほどのピアノソロ曲『アンシーズ』をもとにしていることから、前半の演奏にもふれながら、対話者が「増殖」となずけた作曲手法について言及し、そのほかのおおくの作品が改訂されているありさまを解説する。また抽象的なタイトルが、曲を想起させながらも、あまり多くを語りすぎないようなもの(たとえば古語だったり宗教用語だったりするもの)を選ぶようになったという説明にみょうに納得してしまう。

つぎにコンピューター音楽によって、マイクロ・トンである超微分音、音の合成の計算をも作曲家が手にいれることが可能になるとともに、これらのあたらしい技術の変遷が、ホールのコンサート空間という概念すら変更させてしまうほどの重要な要素をもっていることを示唆する。それは、演奏家を縛りつけるあらかじめ録音されたものではなく、むしろ演奏家にコンピューターの方がシンクロする方法である。

前日の受賞記念講演会は、どうも若いひとへのメッセージという共通のテーマがあったようだが、会場の京都国際会議場に開演時間を過ぎて到着すると会場は満員で、受賞理由を繰り返すかのような実績の披瀝にとどまっていたほかの受賞者たちとは、あきらかに異なっていて、休憩後のブーレーズの講演は感銘的だった。(講演前に流された「へんな」BGM音楽とともにビオグラフィのようなスライドも紹介されたのは、愛嬌というしかないが)ブーレーズは、映写する映像もないのか、舞台正面センターに移動された講演台に歩み寄って、「理想への道」と題された講演を、どちらかというとぶっきらぼうに、英語で行った。「若き日の理想」について問われた晩年のマラルメが「幸福なのかむなしいのか、若いころの企図はあいかわらず生き続けている」と答えたことを引用しながら、わたしたちの人生においては自己発見と自己形成が同時に進行していくこと、理想とは偶然の出会いから生まれること、それにもまして、理想を明確にことばにすることはできないことを指摘する。そして、ブーレーズがたどってきた道とリンクするかのようにみえるエレクトロニクスの進展に言及しないまでも、つねにわきあがる疑問と、それにたいする答えを見いだす作業の試行錯誤だったことを述懐する。

そして、この地においては伝説化しているかにも見えるブーレーズですら、「人生が意味をもちつづけるために、自分自身を裏切ることはなかった」というマラルメの答えを再度引用して、人生における「つつましやかさ」が、見せかけのものではないことを謙遜してのべているのである。

最後に、ブーレーズ本人に、講演会ついて「芸術家の人生におけるモラルについて話されたのだと思う」とのべ、感銘をうけたことを、「偶然に」直接つたえることができた。そこには、現代音楽界を牛耳ってきたといわれるドンのイメージはなく、長い人生をあゆんできたひとりの芸術家の「つつしみぶかさ」と、握りしめられたやわらかい手の感触が残った。日の落ちかけた外に出て、寒さが増した京都の街をしばらく歩き回った。

テーマ:現代音楽 - ジャンル:音楽

ブーレーズ京都賞記事
■■
rimacona-blog
2009年 11月 13日
秋 / ブーレーズ
昼からは京都コンサートホールへ。京都賞を受賞したブーレーズのワークショップ!公開リハーサルでした。想像していたのとは全く違い、柔らかい音。語り方まですべてが柔らかかった。一番最初に聴いたブーレーズの作品が、ポリーニのピアノソナタだから仕方ないか。。それぞれ三台のハープ、ピアノ、打楽器の編成で面白かった。強烈に鳴らされた残響の中でマリンバが静かに連打するところは発見の音色だった。きれいだったなぁ。

僕の座席は最悪で、左のおじいさんは開始5分で眠りこけ、もたれかかってくるし、右のおじいさんも開始7分で眠りこけ、同時通訳用のトランシーバの音量を爆音にしているもんだから音もれ、それも通訳していないときもノイズを出すし、、、(さすがにきつかったので、優しくチョンチョン、としましたが、、)さらに真後ろのマスクをしたおばさんは、開始12分くらいから眠りこけだし、途中「ん、」という甘い声を出したり、スースーとモノラルでサウンドを吹きかけてくるので何度か泣きそうになりました。でもしばらくするとみんな静かに眠りだしたので、ワークショップを楽しめました。

日仏会館であったという若い人との対話の企画は知らなかったな、行きたかった。。。しかし、ライヒが来日したときのように、ブーレーズプログラムのコンサートが2日間くらいあったらよかったのになぁと思いました。

■■
Kimitaka_KOGO blog
祝・ブーレーズ、京都賞受賞
ピエール・ブーレーズが、師匠のメシアンに続き、京都賞を受賞されましたね。
友人が希少なチケットを押さえてくださったので、京都コンサートホールでの公開演奏講座に行くことができました。

シュル・アンシーズ、DVDも見たことがあります。初めて聴いたときはなんだかよくわからない曲という印象でしたが、こうして部分ごとに演奏して、ブーレーズ本人の解説を生で聴くと、細部の細部まで手に取るように理解できました。やはり現代音楽は、詳細な解説とセットであるべきですね。

御歳84歳にして、未来を語る姿勢に脱帽。可動式コンサートホール、進化したコンピュータと人間との対等なセッションなど、たくさんのアイデアが、インタヴュアー野平一郎さんとの対話によって次々と出てきました。もう少し話をしぼって、インタヴューではなく対談にしてほしかった気もしますし、野平氏のピアノ演奏なんかも聴きたかったなあ、とか思いましたが、欲張りはいけません(笑)
とにかく貴重な体験にあふれたすばらしい時間を持つことができました。

■ ■
鷹狩山の会 箕面山・ロマンチック街道支部
2009年 11月 12日
午後半休をいただきまして、ダッシュで駅へ。
京都は北山の京都コンサートホール大ホールで行われました、京都賞記念ワークショップ「ブーレーズ イン 京都」にお邪魔してきました。14:00開演にギリギリセーフ。参加無料(要申込)。稲盛財団、毎度太っ腹です。(余談ですが京都賞パンフレットによると稲盛財団の資産はなんと618億円!!受賞者への賞金5000万円なんて微々たる物なのですかね・・・すげぇ)

大ホール平土間フロアほぼ満席の大盛況。お、京都は先進の街だけに現代音楽ファンが多いのか!?!?(・・・と思いましたが居眠り人も多かった)

まず、長木氏(今年から東大大学院"教授"に出世されたのですね)から、今日の公開リハーサルではブーレーズ氏は体調が万全ではないので直接指揮はしない、代役はたまたまスケジュールの空いていた高関健氏が勤める旨案内ありました。
ブーレーズ氏の指揮ぶりは楽しみでしたがいたし方ありません。何年ぶり?(多分10年以上ぶり)に高関氏を拝見しました。現代曲はお得意の方ですね。

はじめに「公開リハ」として『Sur Incises(シュル・アンシーズ)』。
演奏は東京芸大院の方々。経歴が「○○コンクール上位」とか「主席卒業」とかすごそうな面々。あの超高速音形をどう演奏するのか? ・・・ばっちり演奏、さすがです。

高関氏「ブーレーズ氏のDVDを見たが、あんな速いテンポでは指揮できない」とのこと。御歳84、恐るべし。しかし、終了後ブーレーズ氏は高関+演奏陣には最大の賛辞でした。

■■
西浦の時間≪Nishiura no Time≫
崩れる「ブーレーズ」

科学や技術、文化において、著しい貢献をした人々に与えられる京都賞。今年の芸術分野での受賞は、「ゲンダイオンガク」の代名詞にもなりつつある、作曲家のピエール・ブーレーズ。

本日、その記念講演会だったので、国立京都国際会館まで行ってきました。初めて行ったのですが、周りにご年配の方が多い上に、(平日も明るい時間帯でしたから)いかにも国際会議が行われてそうな、荘厳な会場の雰囲気に圧倒されました。

舞台の上に現れたブーレーズは、驚くほど小柄で、体型はスーツに隠されてるものの、少しポヨンとしたお腹なのかなと、そう思わせる丸っこさがありました。今年でもう84歳だとゆうのに、拍手で迎えられると、警察のようにピシッとお辞儀をしてみせて、少しビックリしました。

一般にブーレーズとゆうと、ストラヴィンスキーとかバルトークとか、そういった近現代のクラシック音楽を、死体でも解剖するように分析して、冷酷なまでに徹底して完璧な演奏に仕上げる、「冷たい指揮者」のような、そうゆうイメージがあると思うのですが、これはなんと言っても、あのCDジャケットに使われる、彼の顔写真のせいではないかと思います。

まあ、見てみれば分かりますが、彼はブルドック犬にそっくりですよね。しかも、なぜか彼がCDに現れる時は、決まって無表情で、不機嫌そうな顔をしてる。こんな恐い顔とCD屋さんで向き合って、変なイメージを持たない方がおかしいでしょう。

では、実際講演会(題目は『理想への道』)で、ブーレーズは、どんな表情をしていたかと言うと、やっぱり不機嫌そうな顔でひたすら原稿を読んでました。だがしかしです、その内容は非常に感性的で、「直感」とか「意思」「欲求」といった、音楽家に本来的なキーワードが多用されて、今まで持っていた「ブーレーズ」とゆう印象が、少なからず(良い意味で)崩れました。

とりわけ、「画家が風景画を描く時、見なければいけないのは風景ではなく、やはり、風景画でしょう。作曲家もそうあるべきだと思います」とか、「音楽は聴衆が完成させるものではないでしょうか」といった音楽に対するポジティブな見解が、かなり意外でした。それから、音楽家は常に新しいものを目指し、過去を振り向くことなく、変化、前進していくべきとゆう言葉が、とても胸に残りましたね。

あんなに冷静に喋っているのに、その一言ひと言が胸を熱くさせるのは、そこにこれまで積み上げてきた、ブーレーズ自身の実感があるからなんでしょう。とても良い講演でした。

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あんりのまいにち
今回の帰省の目的は「京都賞」授賞式への列席でした。
京都賞って言っても、競馬じゃあないのよ(笑)

京都賞とは・・・
京セラの創始者 稲盛和夫さんが運営する稲盛財団主催。
科学・文明の発展、また人類の精神的深化・高揚に著しい貢献をした人々に贈られる。

第二次世界大戦後の西洋音楽を牽引してきたピエール・ブーレーズさんの受賞挨拶が特に印象的で
「音楽を目指す若者よ、やりたい事を強く心に思いなさい。そしてそれをやり続ける強さを持ちなさい。成功に大切なのは、好奇心と忍耐力だ」と熱く語っておられました。

深く感銘を受けるとはこの事なのだと思いました。何かを成し遂げる人というのは、ただ頑ななだけじゃなくてとても柔軟な心を持っているのだね。

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cognoscenti`s tumblr
藤倉大(F)「作曲をするという行為についてまず聞きたい」
Pierre Boulez(B)「非常に多くの側面がある。作品ごとに異なり一つとして同じものがない。楽器編成、音、テーマなど。音の例としては『エクラ』、まず音へのインスピレーションがあり、共鳴楽器と音の長短から始めた」
「次に楽器編成を決め、これらの音響を各楽器の共鳴の長短(ピアノを1とするとヴィブラフォンはその半分など)の検証で発展させた。またすべての楽器を同時に短く演奏すると共鳴が聞き取れない状況を曲に取り込んだ。この場合リズムの要素はあまり重要ではなかった」
(中略)
F「京都賞の理念に共感しての今回の受賞なのか」
B「もちろん、そのために来日した。受賞に際し財団から地元の人たちと交流するようにと申し込まれたが、そのような姿勢に感銘を受けた。一つのコミュニティにとけ込むという機会は興味深く、楽しみにしている」
-2009.11.7(Sat) @Kyoto

→関西日仏会館での対談(一部のみ)

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京都補綴専門医のブログ
初秋の好天の中、自転車漕いで5分。日仏学館到着。
自宅から最も近いフランスのひとつだ。
横にはフィリップ・ジャンビエ仏総領事、前にはグラスを持った生のブーレーズ氏と、何とも場違いだが貴重な時間を過ごした。ご存じない方には「ミック•ジャガーが目の前にいた!」ぐらいにすごいことだ、と言ったら分かっていただけるか。生きている伝説と言って差し支えないだろう。
実は、10年前の在英時、エディンバラ大学でのブーレーズ氏のレクチャーを聴講したことがあった。そのときに比べて背が少し丸くなっていたが、「自らを外に開きなさい」という力強い教えは、実に若々しいメッセージであった。また、音楽以外の言葉で音楽を語ることのできる知の巨人であることを改めて感じた。対して、オーディエンスのわれわれはどうして音楽の言葉でしか音楽の質問ができないことか?我が同業と相似の狭小な業界内独特の空気を感じた。
最後に我々に対するメッセージ。
“Work, work and work!”
 地味な理科学者のような容貌のブーレーズ氏。その予想外の熱いメッセージ、シンバルの一打のように激しく心に届きました。
“Oui, Monsieur Boulez. Je fais de mon mieux!”

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ゆぐどらしる えくすぷれす Ver .2
ピエール・ブーレーズに京都賞!
かかりつけの病院で待合室の時間つぶしに新聞を見てたら・・・京都賞の発表かぁ・・・もうそんな時期やねんなぁ・・・え?!ブーレーズ!!??・・・まじっすか?!稲盛財団GJ!受賞おめでとうございます。

何が嬉しいかって、よほどのことがないかぎり授賞式には本人が京都まで来るということですし、授賞式後にシンポジウムとかがあって講演とか聞ける、ということなんですよね。ブーレーズが京都に来る!ブラヴォーーー!

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CHORUSROOM JOURNAL
ブーレーズが受賞したということです。プレスリリースを読んでいきますと、広範囲に渡って先進的な活動をしてきたことが主に評価されたようで、単に名指揮者、あるいは作曲家としての評価ではないようです。情報科学分野でも、単なる素晴らしい業績というよりは、広範囲の分野に極めて大きな影響を与えた人がこれまで受賞していますので、この評価尺度なら納得できるところです。

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サイエンス辞典
第25回 京都賞記念講演会
... さて、最後の講演者のピエール・ブーレーズ氏でしたが、率直に言うと、話の内容が哲学的過ぎて理解ができなかったのが本音です。しかし、ブーレーズ氏の講演を実際に生で聴講できただけで一生の思い出となりました。ちなみに ...

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自家製クラシカル・クロスオーバー
→海外のニュース一覧

→引用させていただいたみなさまにはお礼を申し上げます。

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メディア関係(内容が重複しているものはのぞいてあります)

毎日新聞
ひと:ブーレーズさん 京都賞受賞の仏の作曲家・指揮者

烏丸経済新聞
稲盛財団、「京都賞」受賞者発表-京都大学稲盛財団記念館で

読売新聞
京都賞授賞式 4人の功績盛大な拍手

京都新聞
ブーレーズ氏が自らの楽曲を解説
京都賞受賞で公開講座


京都新聞
作曲技法や人生観、音大生らに
京都賞・ブーレーズ氏講演


毎日新聞
京都賞:受賞記念学生フォーラム ブーレーズさん「好奇心持って」 /京都

読売新聞
京都賞ブーレーズさん
学生らに音楽論

『作曲のパラドックス』あとがき(一部)
 原書は、昨年パリの劇場で入手しそこねたパスカル・デュサパンのオペラ『ファウストーー最後の夜』のDVDをインターネットで注文するさいの送料負担がわりの追加のなかに含まれていた。じつは、それまで、かれがコレージュの教授に任命されたこともきいていなかったが、友人によって届けられた、この講義録の内容に、たちまち惹きつけられて、すぐに訳文をつくってみようと思いいたった。デュサパンのパラドックスにみちあふれたテクストには、 ーーそれがまた本書のおおきな魅力にもなっているーーときとして迷路にひきこまれそうになることもあったが、その作業は、デュサパンが引用しているブーレーズのことばを借りるなら、訳者にとっても「偶然」に「意志による独学者」として充実した時間となった。あるいは、生物学者ジャック・モノーのコレージュにおける講義をもとにした著書から引用するなら、この「不変性への仕掛けによって取り込まれ,保存され、複製された偶然が、こうして秩序・規則・必然に転嫁され」、「その本性そのものからして本質的に予見不可能な出来事」である《突然変異》とよべるものをおこしていたのだと考えている。(訳書渡辺格ほか訳『偶然と必然』みすず書房一九七〇)


 そもそも、パスカル・デュサパンが、わたしたちにとってちかしい存在となったのは、東京日仏学院が、当時のジャック・スリユ院長を中心として、二〇〇三年秋から、現代作曲家を紹介するシリーズを開始してからである。初年度にパスカル・デュサパンが招聘され、コンフェランスと室内楽を中心としたコンセールが東京と京都で開催された。その後、ジョルジュ・アペルギス、ベッツィ・ジョラスが招かれ、それぞれレクチュアやコンセールによってフランス現代音楽が紹介された意義は大きい。スリユ院長の退任にともない、このシリーズは中断されたが、院長への感謝の意味を込めて、「さよならパーティ」で、わたしはデュサパンのヴァイオリン無伴奏曲『イチITI』(一九八七)を演奏した。こちらの作品は、師のクセナキスの影響と思われる、ヴィブラートをかけない微分音などが多く含まれ、やはりラインを休符で途切れさせることのないよう演奏するのが大変難しかった記憶がある。(最近になって、デュサパンは、西洋音楽という小さな世界にとどまらず、アラブ音楽などにも魅了されており、そこから四分音やグリュッサンドなどのインスピレーションをあたえられていることを述べている。また、デュサパンの微分音は、厳密さを要求するためではなく、古典的で自発的な曖昧さのために用いられていることが指摘されている。)
 
 本書の図版で紹介されているピアノのための「ミニアチュア」の手稿楽譜からは、デュサパンが詳述しているエクリチュールについてよく理解できる。緻密で定規をあてたようにまっすぐな縦の線、正確にリズムをあらわす音符の間隔は設計図を見るようである。東京日仏学院のサイン帳には、かれの見事な筆跡が残されており、カルチエのコンセールのプログラムノオトで紹介することができた。
 
 開講講義の模様は、すでにDVDが市販されており、楽譜を書く手の動きを説明しながら、ふちをたどるようなデュサパンの右手の動きは、それ自体が音楽の時間と空間を表現しているかのように、とても美しい。あるときには、時間のブロックをあらわすような動きもある。作曲する様子について、「頭のなかに、書こうとするものがほぼ正確に響きとして、まえもって視覚化される。あとはそれを清書するだけ。わたしは頭のなかにオーケストラをもっているかのようだ」と。
 
 デュサパンは、「作曲することは、楽譜と音楽の完全な等価値への望みが、永久に満たされないという事実に同意することです。」と本文で述べている。また、作曲当初は攻撃的で乱暴な演奏を要求した弦楽三重奏曲『束の間の音楽』(一九八〇)が、現在では、シューマン風に演奏されることに言及している。しかし、演奏者として楽譜にむかうときに、作品に対する作曲家の企図を、資料からや、あるいは運がよければ、作曲家本人から直接伝えられ知ることはあるが、本書のように作曲そのもののプロセスについて書かれたものに出会えることはまれである。固定された歴史にも形式にも束縛されない自由な、「つくられつつある創造」を追体験しているように感じながら、演奏に取り組めたことを、幸運に思った。



 本書を手にされている偶然が、それがモノーの指摘するように、厳密な意味での本質的なものであるにせよ、そうでないにせよ、読者のみなさんのなかにも、《突然変異》がもたらされることをねがっている。デュサパンも「学ぶことは他者になること」だと明言しているのだから。
    二〇〇七年一二月