音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
2010/10/23のデュオ・コンセールを聴いた!〈QM36〉
◆楽しみに参りました。今日も素晴らしかったです。
曲によって、まったく表情を変えるヴァイオリンの音色の不思議さ。
先の予測が付かず、音の流れにただただ身を任せる心地良さ。
静けささえも音色に思えました。パーカッション、銅鑼と続き、
異国をひとりで旅している気持ちになりました。
銅鑼の音の官能的なこと。魔力を持っていると思いました。
マリンバの音の奥深さには驚きました。
今回は富山さんの演奏が少なく残念でしたが、
若いおふたりの演奏者も素晴らしく、
どの曲も気に入り、良い演奏会でした。
次回もまた楽しみにしております。
〈HI〉
デュオコンセール 2010年10月23日
QM36chirashiQUARTIERS MUSICAUX
VIOLON & PERCUSSION
DUO CONCERT
カルチエミュジコ
ヴァイオリン&パーカッション
デュオ コンセール


ヴァイオリン 富山 ゆりえ
Yurie TOMIYAMA violon
ヴァイオリン 阪中 美幸* 
Miyuki SAKANAKA violon
パーカッション 會田 瑞樹
Mizuki AITA percussion

2010年10月23日(土) 19h00開演
19h00 Samedi 23 octobre 2010
大泉学園ゆめりあホール
西武池袋線大泉学園北口駅前
Salle Yumeria Oizumigakuen
Ligne Seibu Ikebukuro


■ふたりのうた [2Vl.] |E.カナ=ドゥ=シズィ
□Canto a Due |Edith CANAT DE CHIZY (nee en 1950)
*デテ2009の作曲家エディットの小品 
     
■ソナチネ [2Vl.]   |D.ミヨ
□Sonatine Op. 221-1 (1940) |Darius MILHAUD (1892-1974)
*多作の作曲家が2日間の車中で書き上げたデュオ  

■ニワトコの木の3つの歌[Vl.&Per.]    |近藤 譲
□3 Songs of the Elderberry Tree (1995)|Jo KONDO (ne en 1947)
*ヴァイオリンとトムトムとカウベルの組み合わせ  

■スチュディオ [Vl.&Per.] |G.プストロコンスカ=ナウラティル
□STUDIO(1976) |G.PSTROKONSKA-NAWRATIL (nee en 1947)
*ヴァイオリンと銅鑼(ドラ)のめずらしい組み合わせ

■樹霊 [Per.]   |福士 則夫
□Anima of a tree [Per.] (1995) |Norio FUKUSHI (ne en 1945)
マリンバと5つのウッドブロックからなる樹木の呼応

■源流 [Per.]    |一柳 慧
□The Source [Per.] (1990) |Toshi ICHIYANAGHI (ne en 1933)
カリンバ奏者カクラバ・ロビに触発された律動

■エウカリプトゥス・グロブルス |倉内 直子
□Eucalyptus Globulus [2Vl.] (2002) |Naoko KURAUCHI
*ひとつの場から生起するふたつの側面  

■ツインズ[Vl.&Per.] |北爪 道夫
□Twins (1997) |Michio IKITAZUME(ne en 1948)
マリンバとヴァイオリンの似て非なる双児の共鳴


18h00-18h50 公開舞台稽古
入退場自由未就学児歓迎

入場料(全自由席)
一  般 \3000
学  生 \2000
未就学児 \100
カルネ(4枚綴) \10000

★チケットは、右の〈チケット購入申し込みフォーム〉から、
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カルチエミュジコデュオコンセールの曲目解説 〈QM36〉
タムタムweb
〈G.プストロコンスカ=ナウラティルから送られてきたスケッチ〉
※画像をクリックすると拡大表示されます


 カルチエデテ2009年の作曲家であるE・カナ=ドゥ=シズィが、現代音楽に親しむための出版社企画曲集のために書いた『ふたりのうた』は短い作品である。同じ音域の7度音程のなかで2つのヴァイオリンがおたがいにメロディを奏でる。少し速いピッツィカートとトレモロからさらにテンポが上がり、7連と5連音符で一本のラインとなった後は、グリッサンドで下降する。エディットの特徴的な3重音の激しいリズムののちテンポは緩み静かに終結する。
 第2次大戦中の米国亡命中のシカゴ行き列車車中で書かれたD・ミヨ『ソナチネ』は、教職をえたカリフォルニアのミルズカレッジの生徒のための作品である。第1楽章は不思議な和音の前奏のあと、あまり関連ない明るい主題が第1ヴァイオリンから第2ヴァイオリンに現われ、臨時記号によって次々に転調してゆく。展開部のあと、テーマが弱音で戻り、さらにピアニッシモで(第2ヴァイオリンはハーモニクスで)曲を閉じる。第2楽章は8分の6拍子のピッツィカートの伴奏をともなったゆったりとしたメロディーの舟歌。時々あらわれるさざなみを思わせるような2オクターヴはなれたユニゾンが印象的である。第3楽章は明るく快活なテーマ。スラーやリズムによる拍子のズレが楽しい。コーダではテーマが二つのヴァイオリンに重音の一拍ずつずれてあらわれ、フォルティッシモではなばなしく終わる。
 ヴァイオリン独奏でも演奏することのできる近藤譲『ニワトコの木の3つの歌』では、今回カウベルとトムトムが原作によるオブリガートとして演奏される。第1楽章はヴァイオリンが半音階的に進行し、特徴的なグリッサンドを用いる。第2楽章は3連音符を基調として、時折挿入されるカウベルにより拍子から逸脱した「ずれ」を生む。第3楽章は打楽器が印象的なリズムを刻むなかで作品の核となる主題をヴァイオリンが歌い上げる。一貫した時間の流れが特徴的である。1997年草津国際音楽フェスティバルで初演。
 ポーランド・ブロツワフウ生まのプストロコンスカ=ナウラティルは、自国での研鑽の後、フランスにおいてブーレーズ、メシアン、クセナキスのセミナーを受講している。異色な楽器を組み合わせる実験的試みを展開している『スチュディオ』では、ヴァイオリンには細やかなヴィヴラート奏法、銅鑼には多種多様なスティックでの奏法を指定されている。銅鑼の音響空間のなかでヴァイオリンの弦の重なり合いが、摩訶不思議な彩色を生み出していく。
 マリンバと5つのウッドブロックのための福士則夫『樹霊』は、16分音符の減2度、短7度の重なり合う部分、重音を伴う5連符の部分、オスティナートに重なり合う6連符の部分、音響デザインのなされた32分音符の4場面からなる。軽妙洒脱なイントロダクションは、竹林 に小石を投げるかのごとく、軽やかで遊び心に富んでいる。メシアンのリズム語法を想起させる5連符リズム部分は、作曲者は構造上ユニットとしての偶然に過ぎないと述べている。1995年菅原淳ソロリサイタル委嘱作品として作曲。
 マリンバのための一柳慧『源流』の2部構成の第1部では2本撥で奏され、序奏を経て水流を思わせるような現代的パッセージが奏でられる。突如「凪」の時間が訪れ、静寂を彩る。4本撥のアタッカで奏される第2部は、アフリカのカリンバ奏者カクラバ・ロビに触発された原始的な律動をはらんだテーマが高らかに奏でられる。ときおり挟み込まれる16分音符の華やかなパッセージ、やがて第1部を思わせる静寂ののち、すべてを巻き込む疾風怒濤の大団円へと向かいそのままの勢いで終結を迎える。現代と原始的躍動の融合された作品である。
 「明晰さは,あなたが愛しているもののエッセンスがあなたであることを教えてくれる」というA.ミンデルの著作に触発された書かれた倉内直子『エウカリプトゥス・グロブルス』は、「ひとつの場から同時に生起しているふたつの側面」を表現し、傷を回復させ、空気を清浄にするユーカリのイメージが作品の「側面」にふさわしいものであるというねがいがこめられている。タイトルは学名からとられている作品は短い四つの小曲からなる。2声部がほぼ同じリズムで動いたのちハーモニクスで合流する第1曲。8分音符単位の拍子の強音の重音で始まり、最後にはテンポがゆっくりになりハーモニクスでディミニュエンドして消えてゆく第2曲。弱音の両声部とも非常に高音域の、加速する32分音符のかけ合いで始まる第3曲はハーモニクスの中間部に続き6連音符と上行グリッサンドの応答後、高いミの音でひとつになる。第4曲は非常に複雑なリズムと和音の二声のカノンである。5連、6連、7連音符の絡み合いの連続となる。
 アンサンブル・ヴァン・ドリアンを結成。作曲・企画・指揮を担当した北爪道夫『ツインズ』のタイトルは「ふたご」の意味。同じ言葉を喋っても、違う。同じだけれど、様々に同じじゃない、という発音原理の異なるマリンバとヴァイオリンの二つの楽器が、ユニゾンで半音階を進行させていく。やがてときおり口をつぐむかのような休符が、おたがいに受け継がれていく。ユニゾンの中から生まれる「ズレ」の魅力を引き出した作品である。ヴァイオリン野口千代光、マリンバ吉原すみれによって初演。
『誤謬』のような、そうでないような
誤謬1web

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ながいコンサートだった。もちろん前半のコンクール本
選会をコンサートというならの話だが。今年度の作曲家
協会新人賞公募は、ハープをふくんだデュオに限定され
たテーマにもとづく応募作品からじっさいに5作品が演
奏された。どこかの楽譜と音源を提出するという要項に
違和感をいだいていた作曲家がいたけれど、こうした本
選会はたんなる「イベント」なのかどうか。もちろん、
厳正な楽譜審査のうえで、さらにじっさいの演奏を聴い
てさらに理解を深めるということは、音楽というものが、
そういう本質をおのずと備えているし、審査員である作
曲家にとっても必要だと主張することになにの違和感も
ない。むしろ聴衆賞というものではない、作曲家以外の
審査がはいる余地があってもいいのかもしれない。
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このようなことをとりたてて書き出したのは、今回はこ
のような公開審査以前に、じつは結果がでていたのでは
ないかと思われたからである。もちろん、なにを勘ぐっ
ている訳でもない。それほど最後に演奏された(演奏順
もこの想像に結びつくのではないかとあらためて思いい
たらないでもない)山本哲也の『誤謬』は異質だった。
ほかの4作品と比較してもそうだった。それが講評にも
あった「アイデンティティ」であるとされたのだろう。
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もとより、こちらは初演された5作品は、はじめて接す
るものばかりであったが、それは楽曲そのものについて
であって、ちらしからタイトルはわかっていたし、ブロ
グから作曲家ノオトも読むことによって先入観(を刷り
込まれること)もできたはずである。異質だったのは、
まずはそのタイトルである。それは、およそ楽曲のため
のタイトルにはふさわしくもなく、あるいはなにかロマ
ン風物語性を浮かび上がらせるようにも思えるが、実の
ところ、このタイトルは音楽について、音楽形式にたい
するタイトルであって、それは一種の「開き直り/逃げ」
である。いわばメタ・ミュージックのための作品タイト
ルである。
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そしてデュオの編成。ハープという楽器は、その旋律的
イメージでもって、楽器フォルムそのものともあいまっ
た「美しさ」に呪縛されてしまいがちである。それを打
ち破るひとつの方法は、デュオであるもうひとつの楽器
選定であろう。その意味でも、チェロやハープを選んだ
作品と比較しても、木管楽器とともに弦楽器でももっと
も低音楽器であるコントラバスを選んだ作品の優位性は
あきらかである。
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このタイトルはもちろん、作品の中味にも関係がある。
このようにいうのは、これを聴く前に聴いてきた4作品
をまえにして、音楽作品を書くということについて考え
を巡らせてきたからである。ある作品をなにの音からは
じめるのか、どのようにはじめるかということは、とく
に時間芸術である音楽では、全体の枠組が分からないう
ちから、どの作曲家も心を砕くであろう。しかし、ある
いは、ときとして、突然、まったく全体の見通しもない
うちから、思いつくことがあるかもしれない。
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しかし、それとは反対に書いてきた音楽をどのように終
わらせるのかということも、全体構成とあいまって、同
じように難しいということにあらためて認識させられて
いた。それは、後半のコンサートで演奏された作品(と
くに最後の新作初演作品)と比較してもあきらかであろ
うし、そこに経験とか年功を見いだすとしても許される
であろう。いわば、近藤譲が詳しく定義付けをこころみ
ている「音楽のディスコース」といっていいのかもしれ
ない。聴いていて、こちらの想像のようには終わってく
れない、あるいは終わったと思うのにさらに続くのであ
る(こういった聴衆の想像/先入観はなにものでもない
けれど、裏切られるにしても、やはりニヤッとさせてく
れなくては)。あるいは、それとも作曲家はまず最初に、
最後を思いつくことはあるのだろうか。
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しかし、このディスコースにも『誤謬』だといって(そ
しておそらく「ごめんなさい」といいながら)はぐらか
してしまったのである。プログラムノオトによれば「曲
全体としては,比較的短い時間の中でこの編成において
単純にやりたいことを全て提示し、出し切ってしまった
ら曲を終えるという構成」になっている。もちろん、こ
れは構成ではない。すなわち作曲ではない。脱構成/脱
作曲といえるものである。
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これらは、ようするに、いわばアイディアである。画家
ドガが詩を書けないとマラルメに吐露する会話を引用し
て「(大文字ではじまる)アイディアとはいかほどの重
要性があるのでしょう」といいきるデュサパンに倣えば、
しかし、それはアイディアでしかない。そしてこの『誤
謬』に満載された音楽アイディアとともに、このような
さまざまな「目くらまし」(あるいは「耳くらまし」と
いうべきか)によって、作曲家である審査員も、ミラン
からやってきたディレクトリスも、会場の聴衆も、見事
に(そして素晴らしく)騙されたのである。
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しかし、もちろん喧伝されてすでに随分と久しいアイデ
ンディティも、いうまでもなく、それがあればいいとい
うものでもない。これからはどのようなアイデンティテ
ィなのかが問われるのであろう。再演されるミラネーズ
風だろうか。期待はつきない。

近藤譲『音を投げる』
パスカル・デュサパン『作曲のパラドックス』