音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
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京都のブーレーズ2009
京都コンサートホールで行われた京都賞ウィークのブーレーズによるワークショップでは、3台のピアノと3台の打楽器と3台のハープのための『シュル・アンシーズ』が取り上げられた。当初予定されていたブーレーズは指揮をしなかったのは残念だが、急遽札幌交響楽団の高関健が指揮者として招聘され、37分ほどかかる作品の4つの部分、冒頭の交互に現れるふたつのモードの部分と、テンポが加速度的にアップするこの作品の中核である第一部の最後と第二部のイントロと対比的なコーダの部分が取り上げられた。当初、プログラムをみながら、通して演奏しないことを訝しく思っていたが、コーディネーターの長木誠司による説明のように、ルツェルンで行われているワークショップ同様、これらの曲の部分が、楽器のパートに分かれ、あるいはテンポをかえて繰り返される演奏をまじえながら、作曲者自身による分析的な解説によって、あたらしい音楽への理解が深まることを実感できた。

編成に関しては、メインの第一ピアノが中心としてあり、それを左右で支える二台のピアノが補足していること、ブラームスで終焉したコンチェルトとしてではなく、あえてあげるなら、ストラヴィンスキーの『4台のピアノ』やバルトークの『2台のピアノと打楽器』に類似性をみとめることもできると説明していた。これらのピアノにマリンバやティンパニーを中心として若い頃の旅先の南米マルチニック島などで見いだしたスチール・ドラムをふくんだ打楽器には鏡像的に音色を対比をもとめ、ハープがアクセントレーションを補強するという意味合いである。また、指揮者の身振りに注目してくださいと述べていたことが印象的だった。

前後、入れ替わってしまった後半の、野平一郎との対話のなかでは、まず、この作品が4分ほどのピアノソロ曲『アンシーズ』をもとにしていることから、前半の演奏にもふれながら、対話者が「増殖」となずけた作曲手法について言及し、そのほかのおおくの作品が改訂されているありさまを解説する。また抽象的なタイトルが、曲を想起させながらも、あまり多くを語りすぎないようなもの(たとえば古語だったり宗教用語だったりするもの)を選ぶようになったという説明にみょうに納得してしまう。

つぎにコンピューター音楽によって、マイクロ・トンである超微分音、音の合成の計算をも作曲家が手にいれることが可能になるとともに、これらのあたらしい技術の変遷が、ホールのコンサート空間という概念すら変更させてしまうほどの重要な要素をもっていることを示唆する。それは、演奏家を縛りつけるあらかじめ録音されたものではなく、むしろ演奏家にコンピューターの方がシンクロする方法である。

前日の受賞記念講演会は、どうも若いひとへのメッセージという共通のテーマがあったようだが、会場の京都国際会議場に開演時間を過ぎて到着すると会場は満員で、受賞理由を繰り返すかのような実績の披瀝にとどまっていたほかの受賞者たちとは、あきらかに異なっていて、休憩後のブーレーズの講演は感銘的だった。(講演前に流された「へんな」BGM音楽とともにビオグラフィのようなスライドも紹介されたのは、愛嬌というしかないが)ブーレーズは、映写する映像もないのか、舞台正面センターに移動された講演台に歩み寄って、「理想への道」と題された講演を、どちらかというとぶっきらぼうに、英語で行った。「若き日の理想」について問われた晩年のマラルメが「幸福なのかむなしいのか、若いころの企図はあいかわらず生き続けている」と答えたことを引用しながら、わたしたちの人生においては自己発見と自己形成が同時に進行していくこと、理想とは偶然の出会いから生まれること、それにもまして、理想を明確にことばにすることはできないことを指摘する。そして、ブーレーズがたどってきた道とリンクするかのようにみえるエレクトロニクスの進展に言及しないまでも、つねにわきあがる疑問と、それにたいする答えを見いだす作業の試行錯誤だったことを述懐する。

そして、この地においては伝説化しているかにも見えるブーレーズですら、「人生が意味をもちつづけるために、自分自身を裏切ることはなかった」というマラルメの答えを再度引用して、人生における「つつましやかさ」が、見せかけのものではないことを謙遜してのべているのである。

最後に、ブーレーズ本人に、講演会ついて「芸術家の人生におけるモラルについて話されたのだと思う」とのべ、感銘をうけたことを、「偶然に」直接つたえることができた。そこには、現代音楽界を牛耳ってきたといわれるドンのイメージはなく、長い人生をあゆんできたひとりの芸術家の「つつしみぶかさ」と、握りしめられたやわらかい手の感触が残った。日の落ちかけた外に出て、寒さが増した京都の街をしばらく歩き回った。

テーマ:現代音楽 - ジャンル:音楽

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