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デカルトさんとパスカルくん
 このふたりは「知のデカルトVS信のパスカル」などと、17世紀フランス哲学を代表してよく対比される。じっさい30歳年上のデカルトは、天才少年として名を馳せていたパルカルをたずねている。1647年9月のことである。パスカルにまつわる新書は数多く、またある意味研究尽くされているともいえるが(本国以外では日本人研究者がもっとも多いらしい)、ここでとりあげるのは「フランスの哲学者仲間の鼻つまみ者、それがパスカルだ」という文章で始まる、パスカル研究者でないJ.ブランの『パスカルの哲学』(竹田篤司訳、文庫クセジュ)である。

パスカルには、死の直後に姉ジルベルトが残した手記などによって、その生涯はかなり詳しく追うことができる。母親が早死にしたとはいえ、裕福な家庭に育ったパスカルは、教育熱心な父親から教育を受け、子供の頃から数学をはじめとして天分をしめし、16歳で『円錐曲線論』を書いたり、ノルマンディーの徴税官になった父親のために、計算機を考案したりする一方、その頃から、ひどい頭痛など一生病苦を抱え込んでしまう。その後もトリチェッリの大気圧の実験を追試したり、当時存在しないとされていた真空に関する新実験をしたり、高度にともなう大気圧中の水銀の高さを測る実験も提案している。圧力をしめす国際単位は「パスカル」だし、「ほかの」教科書に「パスカルの定理」や「パスカルの原理」がでてきて、面食らった方も多いだろう。

父の死、妹の修道院への帰依などによって、パスカルは社交界に出入りする時期もあったが、晩年にはモンテーニュとデカルトを読むことが思索の源となった。やがて前者の懐疑主義にも、後者の合理主義にもひとを導くことはできないと、キリスト教の旧宗派であるジャンセニスムの教えに関心を示していたことから、キリストの「福音」を求めた。イエズス会との対立のなかで、書簡形式の『プロヴァンシアル』は、そのすぐれた文体によって社会的反響をもたらした。会が運営するポール・ロワイヤル修道院の「小さな学校」のための教科書を書いて、理性にもとづいた幾何学的精神の重要性を認めるとともに、信仰へ結びつく「繊細の精神」として精神の寛さも同時に必要であるとした。

「人間は考える葦である」という有名なことばの書かれている『パンセ』は、「断想」とも訳されているとおり、『キリスト教弁証論』という著書のためのばらばらになったメモ書きであり、それをまとめる前にパスカルは亡くなってしまった。デカルトとの対比を中心に歴史の流れにそったパスカルの全体像をくまなく網羅しながらも、それらの羅列にとどまらない本書は、訳者が最後に書いているように、無数にあるパスカルに関する書籍のなかでも、パスカルファンとアンチパスカルのどちらが読んでも納得のいく内容であろう。

*現代演劇作家J-C.ブリスビルの翻訳書のタイトルを借用した。訳者の竹田篤司・石井忠厚両氏に感謝します。

MM
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