音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
『作曲のパラドックス』あとがき(一部)
 原書は、昨年パリの劇場で入手しそこねたパスカル・デュサパンのオペラ『ファウストーー最後の夜』のDVDをインターネットで注文するさいの送料負担がわりの追加のなかに含まれていた。じつは、それまで、かれがコレージュの教授に任命されたこともきいていなかったが、友人によって届けられた、この講義録の内容に、たちまち惹きつけられて、すぐに訳文をつくってみようと思いいたった。デュサパンのパラドックスにみちあふれたテクストには、 ーーそれがまた本書のおおきな魅力にもなっているーーときとして迷路にひきこまれそうになることもあったが、その作業は、デュサパンが引用しているブーレーズのことばを借りるなら、訳者にとっても「偶然」に「意志による独学者」として充実した時間となった。あるいは、生物学者ジャック・モノーのコレージュにおける講義をもとにした著書から引用するなら、この「不変性への仕掛けによって取り込まれ,保存され、複製された偶然が、こうして秩序・規則・必然に転嫁され」、「その本性そのものからして本質的に予見不可能な出来事」である《突然変異》とよべるものをおこしていたのだと考えている。(訳書渡辺格ほか訳『偶然と必然』みすず書房一九七〇)


 そもそも、パスカル・デュサパンが、わたしたちにとってちかしい存在となったのは、東京日仏学院が、当時のジャック・スリユ院長を中心として、二〇〇三年秋から、現代作曲家を紹介するシリーズを開始してからである。初年度にパスカル・デュサパンが招聘され、コンフェランスと室内楽を中心としたコンセールが東京と京都で開催された。その後、ジョルジュ・アペルギス、ベッツィ・ジョラスが招かれ、それぞれレクチュアやコンセールによってフランス現代音楽が紹介された意義は大きい。スリユ院長の退任にともない、このシリーズは中断されたが、院長への感謝の意味を込めて、「さよならパーティ」で、わたしはデュサパンのヴァイオリン無伴奏曲『イチITI』(一九八七)を演奏した。こちらの作品は、師のクセナキスの影響と思われる、ヴィブラートをかけない微分音などが多く含まれ、やはりラインを休符で途切れさせることのないよう演奏するのが大変難しかった記憶がある。(最近になって、デュサパンは、西洋音楽という小さな世界にとどまらず、アラブ音楽などにも魅了されており、そこから四分音やグリュッサンドなどのインスピレーションをあたえられていることを述べている。また、デュサパンの微分音は、厳密さを要求するためではなく、古典的で自発的な曖昧さのために用いられていることが指摘されている。)
 
 本書の図版で紹介されているピアノのための「ミニアチュア」の手稿楽譜からは、デュサパンが詳述しているエクリチュールについてよく理解できる。緻密で定規をあてたようにまっすぐな縦の線、正確にリズムをあらわす音符の間隔は設計図を見るようである。東京日仏学院のサイン帳には、かれの見事な筆跡が残されており、カルチエのコンセールのプログラムノオトで紹介することができた。
 
 開講講義の模様は、すでにDVDが市販されており、楽譜を書く手の動きを説明しながら、ふちをたどるようなデュサパンの右手の動きは、それ自体が音楽の時間と空間を表現しているかのように、とても美しい。あるときには、時間のブロックをあらわすような動きもある。作曲する様子について、「頭のなかに、書こうとするものがほぼ正確に響きとして、まえもって視覚化される。あとはそれを清書するだけ。わたしは頭のなかにオーケストラをもっているかのようだ」と。
 
 デュサパンは、「作曲することは、楽譜と音楽の完全な等価値への望みが、永久に満たされないという事実に同意することです。」と本文で述べている。また、作曲当初は攻撃的で乱暴な演奏を要求した弦楽三重奏曲『束の間の音楽』(一九八〇)が、現在では、シューマン風に演奏されることに言及している。しかし、演奏者として楽譜にむかうときに、作品に対する作曲家の企図を、資料からや、あるいは運がよければ、作曲家本人から直接伝えられ知ることはあるが、本書のように作曲そのもののプロセスについて書かれたものに出会えることはまれである。固定された歴史にも形式にも束縛されない自由な、「つくられつつある創造」を追体験しているように感じながら、演奏に取り組めたことを、幸運に思った。



 本書を手にされている偶然が、それがモノーの指摘するように、厳密な意味での本質的なものであるにせよ、そうでないにせよ、読者のみなさんのなかにも、《突然変異》がもたらされることをねがっている。デュサパンも「学ぶことは他者になること」だと明言しているのだから。
    二〇〇七年一二月
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