音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
パスカル・デュサパン版四方山話
パスカル・デュサパン版四方山話
インターナショナル・アンサンブル・モデルン・アカデミー2010
東京ワンダーサイト

パスカルは、作曲のプレゼンテーションに半時間も遅くれてきたときは、来日した翌日で、時差と花粉症と熱で「死んでる」と繰り返していました。意見をもとめられても、ほとんど発言せず(しかし、発言自体はさすがにそれなりのものでしたが)、夕方のデュオ『オイメ』のレッスンもキャンセルしてしまって、こちらはふたりの若者(どちらかというと、大阪弁をしゃべるヴィオラ)と、なかよくなっただけで、かれらから意見(レッスン)どころか指揮をもとめられるいうへんな初日でした。まあ、相手はこちらが何者かわからなった訳です。スコアももってたし(もちろん指揮なんてしていません。念為)…。

翌日のもうひとつのデュオ(チェロとクラ)には、よみがえったパスカルが登場して、この『オエ』の最初のレッスンだったので、知らない曲だったし、楽譜もなく、それでもすこしずつ、パスカルが曲をつくっていくのが手に取るようにわかりました。こちらが写真を撮るどころか、パスカル自身に、なんといったか毎日投稿するからといって、受講生と一緒に写真まで撮られる始末でした。そのあと、部屋を用意してもらって、インタヴュをしたのですが、まあ一週間あると、いろいろと聞き逃したのでした。

パスカル作品はあとヴァイオリン・チェロ・ピアノの『トリオ・ロンバック』とピアノのための『エチュード』(全7曲が暫時的に減少し、最終的には第6番のみになってしまった。まあ全曲聴けると思ったのは、ないものねだりにちかかったですね。そういえば、ヴァネッサの話はでませんでした。)があるはずでしたが、ときどき講師がモデルンのメンバーで、それでも時間が合う限り(といってもさすがに午後からでしたが)聴講していました。前日の『オイメ』は結局、最初のレッスンを聞き逃していたので、曲が出来上がってきてからでは、残念ながらもうひとつでした。

なんといっても面白かったのが、5、6人いた作曲のレッスンで、それぞれの受講生の作品(楽譜やら音源やら)を前にして、「これはクリチックでなく、わたしの好みだけど」と繰り返しながら、「システマティックすぎる」とか、「ダイナミック・レンジをかえてみれば」などと本質的かつ具体的意見(それも、それぞれの作品についてまったく異なる内容)を述べて行くのに、まあ、聞いている受講生も納得し、こちらも音楽が変化していく様子に(パスカルのことばを借りるなら)現前に「音楽が見える」ような気さえまでして,驚くばかりでした。ちょっと「パスカル風」といえば、そのとおりのようにも思えたのでしたが…。

ところが、一部の受講生の英語(一応オフィシャルは英語)による講師との対話には見るに忍びなく(まったくなんのために、誰のために曲をプレゼンしているのでしょうか)、同じことを繰り返さざるえないパスカルも不安になって、フランス語で確認するも、受講生が理解しようとしないのですから、とうとう「なんと訳されているのかわからない」とまで言い出すとばっちりに、通訳はしないと言っていたにもかかわらず、訳した日本語のフランス語での説明?までするはめになった、こちらの対応にパスカルには不評でしたが、そういわれてもねえ…。

それに日本語もフランス語も解さない韓国人と英国人(たぶん)もいたのですから。(まあ、じつは英語に訳せばよかったのでしょうが、そんな芸当はわたしには…。あなたならできたんじゃない?)しかし(我慢強い?)パスカルは、わざわざ部屋にもどってまで(これがレジデンスの強み)ジャン・ヌーヴェルとやりとりをしているというPCまでもちだしてきて見せてくれた映像と説明に、頓挫した受講生を除いて、全員が興味津々でした。ちなみにヴィレットに現在建設中のシンフォニーホールの建築家に「ヌーヴェルを選んだのはわしだ」とあとで自慢していました。(審査員のひとりだったらしい。)

しかし、本当はそのPCの中味というのは、前日のコンフェで話す内容だったのですが、なぜかプロジェクターを認識せず、例のでたばかりのソロ・オーケストラのCDの音源を流すという音楽鑑賞会になってしまったのでした。もっとも、委嘱された10分ほどのオーケストラ曲の7曲(ここでもカタストロフィーの7つの基本形です)を20年かけて統合するという策略などの説明はなかなか貴重だったのですが、時間もみじかく、こちらが用意しておいたオペラのDVDも結局映せなくて、まったく残念でした。こちらはそのCDも、もらっていたのでなんとももはや、という結果でした。

ちなみに、アルディッティのクワルテットは、この前のフェースブックのような感想を、さきのインタヴュのときにすでに話してしまって「メルシ」とまでいわれていたので、もっていると思われたのか、もらえませんでした。(DLしただけなのに残念!)それで、例のライナーノートのことを思い出して、なかよくなった(どちらかというとパスカルのほうがもっと)韓国人受講生から、CDを借り出して、コピーしたのでした。彼女からは、カルチエ用に楽譜を手渡されました。

そこにはベケットが引用されていて(まだ未読ですが)、それはタワレコのフリーペーパー誌のインタヴュで、オプティミストといっていたパスカルが、ペシミストのベケットに惹かれるのはどういうことなどとまあ、それなりに興味深いインタヴュの内容からわかったことでした。(パスカルはペシミストとは思わないと答えていたと思いますが…、まあたしかにペシミストというのはちょっとステレオだよなあとこちらも思っていたのでした。)

クセナキスとのことも最後に質問していました。高橋悠治さんのことも話に出ました。ピアニストとしてクセナキスのイマジネーションに大きな影響を与えたと、最大級の賛辞をのべていました。例のパスカルがクセナキス唯一の弟子だという話は、クセナキスがいったことだということを確認していたのが、フェースブックの写真でした。まあ予想通りで、追加説明する必要もないことでしたが…。ちなみにペーパーは4月20日店頭にでるそうです。

スケジュールで大変だったことは、終わりの頃、昼過ぎには帰れるだろうと、午前中からでかけたところ、午後一番のレッスンが遅れ、最後には翌日の発表コンサートの一部がほとんど夜中にそれも会議室で行なわれることになって、いろいろと迷ったり、やりくりをして、頓挫しながらも結局つき合ったことぐらいでしょうか。それには、おまけがあって、パスカルはコンサートには不在で、あとで「せっかくレッスンを受けた若者たちが演奏したのに」と話すと、その時間、プログラムのことは知らずに、ひとりで渋谷をぶらついていたとのことでした。

まあ、そんなわけで、結局「死んでいた」パスカルをオペラシティのセシル・バルモンド展に連れ出せなかったのと、一緒に食事ができなかったのが残念なぐらいで、そんな毎日の場所と時間が準備されていれば、受講生にとっても、もっと有意義だったはずです。というわけで、内容から言えば、2、3日分でもすむはずでしたが、レッスンしている受講生もいるし、まあそういってしまうのもねえ、という、それでも、足し算するだけでよければ、合計の数値が大きくなったという結果でした。

もうひとつ残念なことは、ソロのレッスンを頼み込むつもりでいたのですが、その『イチ』はリストからもはずしたといいはって、実現しなかったことでした。だれもロクでもない演奏しかしないからだと繰り返していましたが、どうも、個人的ないやな思い出がまつわっているのかしらねえ、と勘ぐったりしていたのでした。楽譜と演奏とは別物だといっていたことを思い出してながらも、それ以上、根堀葉折きくことはしませんでしたが…。それにしても、作曲家と作品(あるいはそこにからんだ演奏家)との奇妙な関係に思い当たる逸話でした。

モデルンのインド出身のヴァイオリニストがべつのソロ曲を最後の発表会で取り上げるからというときも、パスカルはレッスン(こちらも深夜覚悟で聴講する画策をしていましたが)から逃げ回っていたのでした。まあ作曲家のレッスンが必須でもないでしょうに…。ちなみに、このジャグディッシュは、演奏スタイルといい(身体性のほう)、音楽性といい、たいへん共感できるものです。ジャグディッシュが演奏するパスカルの『イン・ノミネ』の演奏をヴィデオででも撮りたいところでした。まあ、しっかりとまぶたに焼き付けておきましたが…。

それにしても、パスカルは思った以上におちゃらかで、「死んでいた」さわぎから、写真どころか(へんな日本人とでもいうように)ヴィデオも撮り始める始末でした。フェースブックの写真のときも、「訳、ちゃんとできてるの?」ときかれたので、「パスカルが日本語でしゃべっているようにこころがけた」という(優等生的)こたえを返したまではよかったのですが、それは重要なことだとばかり、先に講義の模様を撮影したDVDを見たのかどうか、とも聞かれていたので、こちらも調子に乗って、パスカルのフランス語の講演をまねて、訳文を朗読しはじめたのでした。それも、パスカルがヴィデオを回している前でです。まあ、なんということでしょう。

というわけで、なんとも中味の薄い一週間(正確には6日間,まあそれでも能天気なこちらにはあっていたかも)をすごし、そのあとパスカルがホームシックになりかけていたパリに帰ったあとも、ところかわってゲーテの「音楽と権力」というタイトルにつられただけでなく、モデルンとヴァイオリニストに)つき合うかのように、(あるいは『帝国のオーケストラ』では、フルベン・シンパが擁護に終始するといううえに、第九讃歌にまで話が及ぶとなると、ベルリンフィルVSモデルンの構図にモデルン側につかざるえなくなったというのが本当のところで、こちらも<第九讃歌=ナチスムの台頭>だろうとはさすがにいえないままでしたが)でかけていき、最終日はイサン・ユンを中心としたまともな内容にキャンセルしなくてよかったと思いながら、レセプションのあと、最後にカフェによって、受講生の若者たちと、モデルンとパスカルの関係はどうなのという話をつづけたのでした。ちなみにパスカルの最新のオペラ『パッション』を2008年にエクスのフェスで初演したのがモデルンです。まあ、パスカルはオーケストラのためのソロをベルリンフィルからも委嘱されていますが…。

とりあえず、メモ、…にしてはながくなった。
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