音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
小さな空間、豊かな感情                      ミレイユ・ラロッシュ演出『サロン・ベルリオーズ』         羽室ゆりえ
 パリ・モンソ公園近く、17区ロジェルバック通りの
オプノ女史の玄関の呼び鈴を押すと、いつも家政婦のシ
ーナが出迎えて、サロンに通してくれた。ヴァイオリン
のレッスンのために、長い時には1時間近くひとりで待
たされることのあったそこの広いサロンの様子を、私は
よく覚えている。グランド・ピアノに室内楽用の椅子と
譜面台がつねに並べられていて、通りに面した明るい窓
際には、なにやら由緒のありそうな布張りの古い椅子が
主役然と一脚置かれていた。障子を思わせる大きな間仕
切りの向こう側にはソファ、窓に向かって仕事机、書架
には写真集や書物が並んでいた。花瓶には美しい花の絶
えることのなかったそのサロンで、ときどき室内楽や独
奏の夕べの集まりが開かれ、幅広いジャンルの友人や知
人、そして弟子たちも招かれていた。

 19世紀以降パリやウィーンでは、こうした私邸で招
待会が開かれ、芸術家たちの交流の場であった。そのよ
うなサロンの形式に注目し、これまでロッシーニや、セ
ヴィーネ夫人とフォンテーヌのサロンを再現してきたラ
・ペニッシュ・オペラのミレイユ・ラロッシュは、昨年
より『サロン・ベルリオーズ』を公演している。しかし
ベルリオーズといえば、現代でこそフランスを代表する
ロマン派の作曲家として、確固たる位置付けがされてい
るが、当時の音楽界では、彼の音楽はなかなか受け入れ
てもらえず、ときには狂人扱いさえされて、苦悩に満ち
た生涯を送り、おまけに室内用の器楽作品にはあまり縁
のなかったこの作曲家が、サロンという形式とどのよう
に結びつくのか、とても興味があった。

 ペニッシュ・アデライーデの数段の階段を降りて内部
に入ると、サロンほどの空間の狭い幅の両壁際に二列ず
つベンチが並べられて、中央の花道のような通路の先に
ステージがあり、椅子が並べられ、コート掛けに外套や
帽子が掛かっている。このステージと通路には茶色のイ
ンクで楽譜の描かれた象牙色のシートが張られている。
そういえば、入口右手のバーに同じ琥珀色のお酒の入っ
たグラスがお盆の上に並んでいる。それらの明るい色調
が、黒い鉄壁もむき出しの殺風景な空間を華やいだもの
にしている。

 まずは楽士たち  ハープを中央に、上手のフルート
とオーボエの管楽器奏者、下手のヴィオラとチェロの弦
楽器奏者の五名  が、琥珀色と杏色に統一された当時
の衣装で登場、ヴィオラ独奏で『イタリアのハロルド』
が始まった。軽快なリズムの曲想に変化したところで、
奥からソプラノ、テノール2名、バリトンの合計4名の
歌手たちが歌いながら登場し、歌い終えると、入口のほ
うを指差して「やあ、ベルリオーズ」「エクトール、こ
っちへ来いよ」と呼び掛け、このサロンのわれわれの輪
のなかへ、実際には登場しない今夜の主人公を招き入れ
て物語を始める。ひとりひとりのアクトゥール=シャン
トゥールに、固有の役は与えられていないようだ。そし
て、この「コンセールとスペクタクルの中間」という、
ベルリオーズを囲んでの、ほぼ1時間半のサロンは、ロ
マンチックで、情熱家で激情家で力強いこの作曲家の
「全身像」を、1850年頃を舞台に描き出していく。

 脚本はテノールのイヴ・クドレ。台詞はすべてベルリ
オーズの書簡、評論、著書『回想録』から引用している
  作曲家として認められなかった彼は新聞に評論を書
くことで生活を支えていた  。オーボエ奏者ジャン・
ピエール・アルノは、この公演のためにアンサンブル・
カルペ・ディエム(ラテン語で「現在を楽しめ」の意)
を結成し、ベルリオーズの作品から『ハロルド』をはじ
め、初期の歌曲や『ファウストの劫罰』『ロメオとジュ
リエット』『キリストの幼時』などを編曲して、性格も
編成もさまざまな曲を見事に対比させている。ほとんど
が私の知らない曲だったが、美しい二重唱、三重唱が印
象に残った。

 劇は終始バランスのとれた柔らかい響きと演奏者や歌
手達の愉し気な表情の中で続けられ、彼らは客席とのお
互いの息遣いまで感じあえる距離で、ひとりひとりと目
を合わせ、反応を確かめながら進めていく。途中、例の
琥珀色のお酒が配られる。

 ベルリオーズにとって、交響曲やオペラをはじめとす
るすべての音楽は「劇的」で「管弦楽的」であって、ま
た彼は〈標題音楽〉という新しいジャンルをつくり出し
た。シェイクスピアをこよなく愛し、女優ハリエット・
スミッソンに対する感情体験を自伝的に取り扱って作曲
されたという『幻想交響曲』や『ローマの謝肉祭』『レ
クイエム』をご存知の方は多いだろう。このように徹底
して大劇場の大編成の楽曲にかかわった作曲家の人物像
を、限られたスペースで紹介しようという、この公演の
「たとえ小編成でも巨大な管弦楽同様に作品のエスプリ
を表現できる」とし、「小さな空間で豊かな感情表現を
試みる」という意図は、この空間を最大限にかつ積極的
に生かし、完成度の高い独自の個性的な作品を創り出し
て見事に成功していたと思えた。

 演奏後、《Hop!》という掛け声に合わせて、出演者全
員が挨拶をするために、衣装をつけたまま楽器をもって
通路を走り回る若い女性チェリストに、私ははらはらし
ながら拍手をしていた。     (2001年3月27日)

テオロス#14所収
http://www.ne.jp/asahi/theoros/forum/
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