音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
切りとられたコンセール 曲目解説にかえて QM38
曲目解説にかえて

 カルチエミュジコのディレクトリス、ヴィオロニストとして2001年3月から2010年10月までの10年間にわたり、36回のすべてのカルチエミュジコのコンセールに出演した羽室ゆりえ(26/01/1952-08/01/2011)は、25曲のヴァイオリンソロ作品を演奏した。このコンセールアンカドレ<切りとられたコンサート>は、2009年11月22日のコンセール・モノローグを中心として、録音とスチール写真から構成している。

 バッハの無伴奏曲と並ぶバロック期のG.Ph.テレマンの『幻想曲集』は、より自由な様式と形式をもち、変化にとんだヴァイオリンの自然な表現を楽しむことができる。映像はカルチエミュジコが活動のエスプリを模範としたパリのサンマルタン運河とヴィレット運河に浮かぶペニッシュオペラとディレクトリスのミレイユ・ラロッシュ。

 モロッコ・カサブランカ生まれのG・フィンズィの『こわがり』は五度音程〈ファ♯からド♯〉の〈シ・シ♭〉の音を除いた6音をもとに曲が成り立っている。不安げに始まるモチーフが繰り返され、あるときは緩みながらも最後にその恐怖心は頂点に達する。映像は2009年11月22日のモノローグの舞台収録。6月に開催されるカルチエデテ2011の作曲家。

 N・バクリが音楽家たちに捧げた『3つのラプソディ』は、小節線のなかの拍数は自由な中音域による静かなレチタティヴォの第1曲、高音の激しいカデンツァがコーダで締めくくられる第2曲、12音音列の2小節ではじまる無調メロディの第3曲からなる。誰でもが、どこででも音楽のできる夏至の『音楽の日』の2003年パリでの映像。

 J・ケージ『8つの笛吹きハイク』は、NYブルックリン生まれのM・ゴールドスタインの勧めによって書かれた。ヘ短調音階のなかで、詩の母音と子音の扱いを、ボーイングのポジションや弦へのプレスのグラデーション、アーチキュレーションのフォルムに置き換え、弓の木部の使用やハーモニクスやヴィブラートなどによって変化するメロディの色調は、音色のテクスチュアの質に従ったヴァイオリンの音の響きを拡大させている。そのため、音の強弱と弓の圧力が正反対になっているなど、一種の異化効果を生み出している。映像はブルックリンなどから眺めたマンハッタン。

 P・デュサパンの『イチ』は、1980年代に多く書かれた独奏楽器のための作品で〈I〉ではじまるタイトルをもっている。メロディを描く揺れ動く一本のラインが美しい。小節線はなく、それぞれの拍は細かいリズムに分割され、短い移行のなかで急激に変化する細かいニュアンス記号が記されている。指定箇所以外ではヴィブラートをかけずに演奏されるが、それによっておおく使用されている微分音の音程のちがいが効果的となっている。映像は2010年東京でのパスカルと最初に招聘したジャック・スイユ元日仏学院長のさよならパーティでの演奏。

 三善晃の『ヴァイオリンのための鏡』は曲想として短い5つの部分に分かれるが、とおして演奏される。曲はニュアンスの少ないなかでしずかに始まり、テンポをあげるとともに、複雑なリズムで激しい動きの部分に移行する。ふたたびしずけさがもどり、印象的な<シ>の音でつぎにつながる。ここではできるだけ速いテンポを指示された強い音を演奏するカデンツァ風パッセージがつづく。しずかに始まる作品の中核部分はもっともながく、次第に激しい高揚に至ったのちに最後にはしずかに閉じる。そして最後のコ-ダ部分は、曲の冒頭を回顧するようなしずけさがもどり、最初の小節へと逆行して、全体を閉じる。

 A・ジョリヴェ晩年の作品『狂想曲風組曲』は全5曲からなる。第1曲のアラブ風民族音楽の色彩の濃い「前奏曲」につづいて、しずかでゆったりとした「アリア1」には小節線は数本しかなく、低弦をつかった高いポジションで旋律が奏でられ、終盤にはさらにテンポが緩んで曲を閉じる。〈ラ〉の弦が4分の1音高く調弦された開放弦の微分音を用いて、全体に弱音器をつけて駒の近くで演奏される「間奏曲」の中間部は日本の民謡を彷彿とさせる。つぎの「アリア2」も弱音器をつけたまま演奏され、グリッサンドが特徴的な短い対比的な曲である。そして歌とかけ声と踊りによる「終曲」で全曲を閉じる。この作品は全体を通じて小節線が少なく、タイトルのラプソディー(狂詩曲)の色彩が支配している。映像は翻訳に心を注いだリュシイ・ジャンの京都滞在時の写真集より。

 『砕けてもあり、、、』は上田聴秋「砕けても 砕けてもあり 水の月」が創作の道筋となっている。仏語訳の直訳は「こなごなになっても、あいかわらずそこにある、水のなかの月」で、いうまでもなく「不変性とはかなさとの対照」が作品のテーマである。映像は初演当日の舞台練習。

自己紹介にかえて(22/10/2009プログラムノオトより転載)
弓の位置、使用する部分など、右手の弓の奏法に関して同じことを意味する指示が、作曲家によって使われる記号や言語がさまざまで興味深い。ヴァイオリンはひとりでは音楽が創れない楽器、と書いた音楽家がいたが、どうでしょうか。現代音楽のレパートリーにはまだまだ紹介される機会に恵まれないヴァイオリン・ソロは数多いのですが…。(羽室ゆりえ)
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