音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
ジャスミンじゃすまん
倉内直子『茉莉花ーーフルートソロのための』

なぜか、というほどのこともないけれど、会場のエント
ランスのある地上から地下へ降りていく階段のほとんど
下がりきったところのだれも踊ったりはしないはずの踊
り場にスタンドが並べられてあって、本日はじめて人前
で演奏(すなわち初演)される(あまり新作とばかりも
いえない)作品の楽譜が並べてあった。隣とくっついて
いたので、落ち着いて眺められるわけではないし、見た
くなったらあとから作曲家に所望するばいいはずだと思
って(そうもいってみたけれど、これまでに答えてもら
っているわけではない)、それでもなんとはなく、開い
ていた最初のページを覗いてみた。そこには、いくつか
の(正確には忘れたけれど)フレーズ、あるいは音の塊、
というより、いくつかの音の連なりが書かれてあった。
この倉内直子はフルートソロのはずだけれど、一段譜だ
ったのかどうかももはや心もとない。
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ページを繰らなかったのは、失礼を顧みずに書いておく
けれど、なんとなく、その最初のぺージで、作品全体が
読めてしまったからである。少なくとも、そのときその
ような気がした。勿論、それはどちらかというと、その
スタンドの前に立ち止まった気まぐれ同様、むしろべつ
の楽譜を見てみようとしたからだけかもしれない。
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最近、ときどき音楽作品のはじまりはともかく、どのよ
うに最後が終わるのかということは、新作初演を聴いて
いる(ごく僅かな人たちを除いた)聴衆にとって、まっ
たく予測だにしないということが気になってしまってい
る。それは、むしろさいわいなことかもしれないし、そ
うでないのかもしれない。あるいは前者だと思ったから
こそ、演奏前から並べられていた楽譜の最初のページを
(最後まで)繰って、最後を覗いてみようとしなかった
のかもしれない。いや、実のところ、それほど意識して
いたわけでもない。
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すでにのべたようにソロ作品だけれど、紆余曲折、さま
ざまな(いろいろな意味で、とあえて付加えておこう)
コンサートプログラム(そのなかには演奏したソリスト
ならではの笑いこけるしかないものもあったけれどーー  
録音されてしまったのかも)には数人の編成もあったに
もかかわらず、この『ジャスマン(茉莉花)』は、最後
に演奏された。そのことをここであらためて、あげつら
うつもりもないけれど、それが当番だけだとしたら(そ
んなことは事情を知らずとも誰にもさっしはつく)奇妙
な気がするのはわたしだけではないように思う。
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ほかの作品について書くつもりはないので、ここでは、
これ以上、このことに触れる必要もないだろう。それで
繰り返すけれど、この「展」の最後になって、予想通り
(楽譜通りというのはあまりにも当たり前すぎるけれど
も)最初のページの演奏がはじまった。そこに提示され
る音、あるいはこの地の言語では複数形はないにしろ、
あえていうのならば数個の、あるいはいくつかの「音た
ち」。それらが、見ることもなかった次のページから、
さらにはその先にまで引き継がれ、繰り返され、さらに
繰り返される。駆け上がるものあり、転げ落ちるものあ
り、さまざまであるにせよ、異形同類のように思えた。
ところどころにリズムに変化が加わり、といっても、あ
えてこじつけのように言い直しておくならば、変化して
いたのは、リズムでなくテンポだといってはいけないの
だろうか。リットやアッチェレでなくテンポそのもの。
しかし音型はかわらない(というとあまりにも雑駁に過
ぎるかもしれないけれど)。
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その繰返しは、企図されたものなのだろうか。勿論、そ
れを書くのは作曲家にほかならないに違いないのだろう
ゆえに、ひとりの存在としてのなんらかの企図はあるは
ずである。しかしここで気になったのは、あるいは、作
曲家の企図以上に繰り返されたのだろうかという疑問を
抱いてしまったことだった。と書いてみたところで、じ
っさいには、音型だって変化しているし、リズムの変化
もある。すぐに強弱の変化も表れるし、まもなくロング
トーンだって、それに特殊奏法だって(その同じ月の終
わりになってとんでもないというしかない奏法を耳にし
たけれど、それはまた別の話である)出てくる。それら
をすべてテンポの変化に過ぎないというのは、あまりに
も無謀な話で、それは釈尊の掌の上で踊っていた悟空に
過ぎないというのはどうしようもない譬え話だろう。
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しかし、なぜか、わたしはそのように聴いた。「聴こえ
た」などと普遍化するつもりはないけれど、あえていっ
てみれば、そのように聴きはじめてしまったのだ。それ
は、ある意味、困った先入観に違いないのだろうけれど、
それを前提とすれば、やはり、どこかで物足りないとい
うふうに思えてしまうのだ。それは、どこのヴァリエー
ションなどというつもりもないし、それらのすべてに違
和感があったということもないのだろう。あるいは、そ
れらのヴァリエーションが、テンポの変化に還元されて
いたのかどうかと問いかけることで理解できるのかもし
れない。ここで、音楽でもっとも重要な要素はテンポで
ある、などというつもりもないし、作曲に費やした日数
というのもどうでもいいことだろう。はたまた悟空は誰
なのか。釈尊は存在するのかなどと問いかけるつもりも
ない。フルート独奏間部令子。演奏時間13分。
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