音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
リズムの非論理性あるいは異国民族音楽の魔法
1918年、大阪でももっとも大阪らしいといわれている
船場の問屋を営む家庭で生まれた大栗裕は、1982年に
64歳で亡くなっている。『甦る大阪の響き~大栗裕没
後30周年記念演奏会』終了後に、誰かが語っていたよ
うに30年経過したにもかかわらず、忘れられなかった
のだろうか。あるいは「甦る」必要があるほどに忘れ
られてしまっていたのだろうか。
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大栗は家族の反対にもかかわらず、音楽への情熱を捨て
きれず、家を出てまで商業高校のクラブで始めたホルン
を続け、ホルン奏者として東京と大阪でプロのオーケス
トラに所属し、モーツァルトのコンチェルトも演奏して
いる。その大栗が、いつから作曲をはじめたのか不明な
点もおおいが、作曲家の指揮よりも、このようなケース
もけっして少なくないのだろう。
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オーケストラ活動のかたわらで作曲の独学を続け、ホル
ン奏者として参加していた京都撮影所で当時の第一線の
作曲家の映画音楽に接しながら、習作とよばれる作品を
書いていたのだろうか。ピアノを弾けない大栗がハーモ
ニカを吹いて音を確かめていた(大栗文庫とともにロビ
ーに展示されていた)というのは、もうすでに伝説に近
い。
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このような大栗のデビュー作品がオペラ『赤い陣羽織』
であり、すぐに関西歌劇団で上演されて好評を得たとい
うのは、なかなか考えにくいことである。ましてやいま
ではこの作曲家の代表作といっていいつづく『大阪俗謡
による幻想曲』にいたっては、神戸での初演後、第二次
大戦後まもない時代に、ベルリンフィルハーモニカーで
演奏され献呈されているのである。
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この実績に貢献したのはいうまでもなく、当時の関西歌
劇団と関西交響楽団の指揮者をつとめていた、ちょうど
10歳年長(作曲家は同じ誕生日を自慢していたらしい)
の朝比奈隆である。朝比奈は晩年でこそブルックナーや
マーラーなどの後期ロマン派の大曲で知られているが、
もともとベートーヴェンはいうまでもなく、チャイコフ
スキーやレスピーギもレパートリーとしていた。
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しかし、朝比奈が積極的に現代曲をとりあげていたとは
到底考えられない。このベルリンでのコンサートでもベ
ートーヴェンの第四交響曲をメインに、コンチェルトを
べつにすれば、大栗作品と芥川が取り上げられている。
そして、そこで大栗は「東洋のバルトーク」と称せられ
るのである。
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著名な評論家シュトッケンシュミットは「勇敢な色彩混
合・メロディカルな名姿を浮かび上がらせる音階、不気
味な非論理的リズム、珍しいチキチンキチチン・あふれ
るドコドコの打楽器の響きのなかに、古代異国民族音楽
の魔法が生まれ、ヨーロッパの句切法との独特の結合を
しめした」と絶賛している。ほかの批評家とともに、ベ
ルリンの聴衆がこの『幻想曲』にいかに驚かされ、魅了
されたかは容易に想像できる。
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おそらく朝比奈にとっては大栗作品は現代曲ではなく、
大栗は現代作曲家ではなかった。関西歌劇団の創作シリ
ーズのために、ホルン奏者に作曲をうながした朝比奈に
どれほどの確信があったのかはともかく、そもそも関西
交響楽団にホルン主席奏者として招聘したことからもわ
かるように、ふたりは指揮者とオーケストラプレイヤー
としての交流があったのだろう。プログラムに掲載され
ているひと世代離れたふたりの写真(撮影年代はともか
く)では、あいかわらず毅然としているマエストロに対
して、人なつっこさを醸し出している作曲家というふた
りの人柄、あるいはふたりの関係を如実に描き出してい
るように見える。
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そして、朝比奈はこの作品をベルリンにも、おそらく芥
川作品のつけたしのように携えていった、天神祭のお囃
子と大阪弁のイントネーションに満ちあふれたこの『幻
想曲』のスコアを眺めながらも、すでに東京から大阪に
活動本拠を見いだしていたにもかかわらず、最後まで大
阪弁をけっして話すことはなかった指揮者には、すでに
ベルリンでの賞賛を予測できていたとしても、はじめて
競演する演奏家たちに、この「非論理性」をどのように
伝えたらよいのか、一抹の不安があったにちがいない。
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しかし、この夜のコンサートでは、弟子であった近藤望
の渡欧のために書いたという『変装曲』(初演では作曲
家が馬子に変装していた)の引用だらけのタイトルどお
りの「ホルン奏者の休日」というユーモラスな作品はと
もかく、ギネスもんだといいたくなってしまった140名
のホルン奏者による合奏(奏者はともかく楽器の集合に
びっくり仰天)のよく響き渡ることは、大栗が作曲家で
ある前に、ホルン奏者であることを証明しているに違い
ない。
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そして最後に『幻想曲』とともに、ヴァイオリンコンチ
ェルト(第三楽章のみだったが)は大フィルと指揮者手
塚幸紀とソリスト長原幸太の演奏とあいまって、見事に
気持ちよく鳴り響くオーケストレーションにも心底感心
させられてしまっていた。終演後オーケストラOBから
「自分たち(の音)はこの二倍くらいだった」といわれ
て、この作曲家が指揮者だけでなく、この地で、おおく
の人に愛されていたことがよく理解できたのである。
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