音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
ドビュッシーと私 −丹波明 〈2013丹波明コンセールポルトレ〉
ドビュッシーと私

AT_20121030.jpg丹波明 新作の弦楽四重奏曲のスコアを前に

ドビュッシーと私        

私がドビュッシーを意識したのは、芸大の三年も半ば過ぎ、卒業作品を書かなくてはならず、編成、形式を考えていた時です。ドビュッシーは晩年、数曲のソナタを書く計画を立て、チェロ・ソナタを1915年に、今回皆様がお聴きになる三重奏ソナタを1916年に、ヴァイオリン・ソナタを1917年に作曲し、翌1918年、癌のため他界します。

当時、私にとっての問題は、自己の和声、自己のリズム・時間観、自己の形式・構造観、自己の色彩感をつくりあげていたドビュッシーが、何故、再度ソナタ形式に回帰したかと云うことでした。

確かな答えを得られないまま、私も彼の様に少なくともソナタを三曲書くべきで、その内に答えは返って来るだろうと決心し、先ずフルート・ソナタを1958年に、ピアノ・ソナタを1959-60年に、ヴァイオリン・ソナタを1962年に書きましたが、答えは得られず、漠然と解ってきたのはかなり後のことです。答えは二つ考えられました。

その第一は、不本意ながらも、ドビュッシーは彼に課せられていた印象主義が衰退期に入り、行き詰まりを予期し、この解決法として、感覚、観念と結びつかない、純粋に音による音楽構造をソナタ形式に求めていたと考えられます。

第二は、ドビュッシーがこれまで刷新してきた経験を基に、古典のソナタ形式とは異なる、新しい「フランスのソナタ形式」を発展できる自信があったからだと思われます。この自信を「フランス音楽家」という自負で表示し、C・フランクやV・ダンディのアカデミスムが提唱する古典的ソナタ形式に対抗する指示運動でもあったと、考えられるのです。

従って、一部の人々が云うような、第一次世界大戦中の国粋主義でも祖国主義でもなく、ここにはいかなる状況の中でも、たゆまず音楽を探し求める作曲家、ドビュッシーの姿を見ることが出来るのです。この態度は、熱烈なワーグナー主義者であった彼が、数年後、ワーグナーに留まるべきでないと主張したドビュッシー自身の言葉でも理解出来ます。

「ワーグナーの後に何があるべきかを探求すべきで、ワーグナー風にある事を探し求めるべきではない」。

これは彼がワーグナーの音楽を否定したというのではなく、あるものに留まって自己の音楽の探究を怠るべきではない、というのです。

 私がドビュッシーから学んだものは、ドビュッシー風にあることではなく、ドビュッシー、メシアンの後には何があるべきかを探し求める創作態度、創作意識でした。
           
2012年 丹波明
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック