音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
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パスカル・デュサパン プログラムノート
ヴァイオリンとヴィオラのための『オイメ』(1992)
パスカル・デュサパンは、この二重奏曲のタイトルに愛の溜息「オイメ」 (「ああ、なんということだ」というイタリア語の悲嘆、苦悩、後悔等の間投詞)を挙げた。楽譜冒頭に「振り子の揺れのように」と記載されているように、「揺れ」の運動が自由な発展にともなう揺らぎや逸脱  特に有機的関連をもって現れる、タイトルと関連があると思われる悲嘆を表象するフィギュール的な大きな跳躍下行音型を含みながらも終始、根源的なモチーフ・楽想として貫かれる。曲頭、ヴァイオリンはレガートを基調にゆったりと長い音価による揺れを、ヴィオラはスタッカートを多用しつつ短い音価で変幻自在な揺れの運動を見せ、両者は音楽的な様相ならびに時間の流れの対比による明確な相違  他者性を帯びているが、時を共有していくなかで次第に……。作曲家はヴァイオリンとヴィオラというこの近くて遠い「他者」の邂逅に何を託し、いかなる物語を紡ぎ出したのだろうか。(佐藤岳晶)

クラリネットのための『イプソ』(1994)
イプソはラテン語の「かれみずからの、ひとりで」ということばからきています。特徴のない外観で、素材も穏やかなものですが、当時よくつかっていた五音音階のグループ(あまり音楽学的ではありませんが)の類似的なものを生成させたり、増殖させたりする無意味さと恣意的に対面したものです。このことが音楽的企図と対立するものであることが理解されるのなら、この音楽のダイナミックなラインだけを聴き取ることはたやすいでしょう。リズム的・旋律的・和声的にも世紀末的民族音楽にとどまることのない提示と扇情的におちいって徐々に消滅する
持続したフリンジで四分音の下降音階へと逃げ込むものなのです。スタイリスチックで特異な発端からはじまったときには、このようなアイディはすでに喪失されてしまっていたのですが…。

コントラバスのための『イン&アウト』(1989)
外務省レジデンスプログラムで6ヶ月滞在していたニューヨークで書かれた。習慣的にあるバーに通い、毎晩19時にジャズ・トリオを聴いた。かなりの年配のとてもにこやかなコントラバス奏者は、つねに同じテーマを同じコードを弾いていたが、かれがつねにリードしていることのほうに興味が引かれた。しばらくそのことについて考えたあげく、この作品の冒頭のあまり重要ではない音符を書き込む方法論と、スタイリスチックなエッセンスと自己流の展開方法とによってこの素材を定着させ、旋法をさけながらも、この書法によりながら、このお気に入りの音楽を再発見していった。矛盾しながらも、和声的素材を要旨としたピッチカートの第1楽章の「イン」と、同様な作業によるテーマ素材を完全にべつのものとして繰り返しているアルコ(弓)の第2楽章「アウト」とに分割した。


ヴァイオリンのための『イチ』(1987)
1980年代に多く書かれた器楽独奏のための作品のひとつで、ほかの作品同様、アルファベット「I」ではじまるタイトルをもっている。メロディを描く揺れ動く一本のラインが美しい。小節線はなく、それぞれの拍は細かいリズムに分割され、短い移行のなかで急激に変化する細かいニュアンス記号が記されている。微分音が多く使用されているため、それらの音程の差の効果を表すため指定箇所以外ではヴィブラートをかけずに演奏される。(羽室ゆりえ)

ラリネットとコントラバスのための『ラプス』(1987)
モーツアルトととの相関関係をみてとれる初期のクラリネットのための作品は柔軟で繊細な進行が顕著である。デュサパンのレトリックによる決定論とメランコリーと集中は、出現と隠蔽が交互に繰り返されながら、巧妙に調整されたプロポーションをもった純粋音楽的クオリティである高次元(運指の俊敏さ・緊張と弛緩・アーティクレーション・メロディックなリズム・漸次的傾斜)へと移行しながら、さまざまな旋法の状況が同時的に出現している。かなめとなる音符をめぐるヴァリエーションにおいてちょっとした幻惑があり、四分音へと語尾変化しながら音色とハーモニーの可能性のなかでハイライトへとむかう。

弦楽トリオ『はかない音楽』(1980)
パリ弦楽三重奏団からの委嘱を受けたときに書きはじめていたべつのオーケストラ曲から音楽の素材にもとづく構造の抽象的性格を取り入れたのです。音を増強しながら、大編成から小編成へ移行する技術的問題を解決し、刻印された方向を保持しながら展開を試みました。冒頭の部分で緊張点を模索し、最大エネルギーに到達したときに(かならずしももっとも強くとか、もっとも速い点を意味しない)中断して静寂を得るのです。それゆえにこの曲はつねに逃走なのです。緊張したシークエンスであるヴァリエーションでも、音響素材の爆発という場面にとっても、それはすでにわたしには興味が失われたものなのです。それで、そのままにして、べつの
ところに移行するのです。

ピアノトリオ『トリオ・ロンバック』(1997)
タイトルはヴァカンスを過ごすヴォージュ山系の小さな村の名前から引用されています。3つの楽章はひどく異なり敵対すらしています。音楽の常套的プロセスであるパランプセプトのマニエールが考案され、再読され、迂回された音楽の断片的な真実なのです。A・ブークリシュリエフにオマージュをささげた東欧の響きがあります。このピアノのための最初の作品は、ピアノのオクターヴの力強さから投げ出され、噴出するメロディのほとんど<ポピュラー>な性格をもっています。しかし、いかなる本当の引用もなく、この偽引用は、かなり複雑なプロセスにもとづく作品全体を構築しています。<ミテロヨーロッパ(中欧)>がすこし響くことを期待しました。ある種、いくつかの暗黙のレフェランスによって色調の進路を変更しましたが、しかしこれらの音楽も引用ではなく、創出したのです。<架空>民族音楽を再創造し、<もののアイディア>を自分のためにつくり出し、<このもの>の記憶によって演奏されます。音の再発見、音の意味、情動の再発見です。こうして音楽がふたつの世界のあいだでいつもすこし再発見されるための源泉と物語を分解することが望まれるように、はじまりの音楽的ジェスチュアによってサポートされたレフェランスが、溶解し、進路変更されるのです。あるものからべつのものへとばらばらに投げ入れられた断片で作曲され、けっして結びつくことのない身体に回収されたピアノの想い出を、パランプセストによって再構成しているのです。

                             
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