音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
プログラムノート
■2つのヴァイオリンのための ソナチナ(1987) | 尹 伊桑(ユン・イサン)
尹伊桑は、日本の占領下の現在の韓国南部で生まれ、のちに大阪で音楽を学び、いったん生地に戻って音楽の教職にもつき、いくつかの作品によって作曲家として認められるようになる。しかしその後、東京をへて1956年に渡仏するが、当時のフランスの状況にあきたらず、翌年にはベルリンに移り、ボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファー、ラインハルト・シュバルツ=シリングなどのもとで、さらに作曲の勉強をつづけている。韓国においては、最初に西洋に赴いた作曲家として、また南北に分かれた祖国の政治的状況のなかで、その政治活動により死刑判決を受けた政治犯として(その獄中の凍える状況の中で五線譜と鉛筆だけで喜劇のオペラを書いた)知られているが、本質的な深層において、道教の教えにもとづきながら、西洋音楽と伝統的民族音楽の融合をはかった音楽家である。

この2本のヴァイオリンのための作品は、第2ヴァイオリンのド♯の単音にラとの和音が挿入されながらはじまり、やがて第1ヴァイオリンが加わり、同じような音形の和音が、ゆったりとしたテンポで、相互に掛け合うかのように奏でられる。途中、すこしテンポが上がり、さらに速くなって強奏の部分をへて、やがて速度がおちたのちにもとのテンポに戻る。最後はリタルダントのあと終曲になる。ゆったりとしたアルコの和音に挿入されるグリッサンドやピッツィカートが印象的であるが、テンポの変化のなかに終始一貫して、直裁な音にもかかわらずゆたかに音楽が流れていく。小曲ながらも作曲家の特徴をよくしめしている作品である。

■弦楽四重奏曲 マル-ことば(2010) | ヒーラ・キム
タイトルは韓国語で「ことば」を意味する。3年前出会ったブラジルからやってきたアーチストから見るべき有名でない韓国映画を推薦するようにもとめられた。この過程で、わたしは映画のストーリーや叙述構造よりも韓国語のイントネーション自体のほうにより興味を持った。ことばというものは音楽のように聞くことができることに気がつき、このアイディアは、この作品のおもなコンセプトとなっている。この作品で、ことばのイントネーションを音楽的素材として用いようとした。このおおげさなグリッサンドは、その音楽的素材のひとつである。全体は二つの部分にわかれている。
2011年5月、ベルリン・ドイツ・オペラで初演。

■弦楽四重奏曲 ハムサの樹(2011) | 田蕾蕾
ハムサは、アラブ語とヘブライ語で「5」をあらわすことばである、「ハムサ」は中近東と北アフリカのひとびとにとって、護符や魔除けや装身具として「悪」にたいして身を守るすべてのシンボルとして用いられている。
ときとして、5つの指と掌に目が描かれた手として表され、ある種の「防御の手」「神の手」を意味する。また、「生命の樹」の象徴でもある。
作品は、それぞれ独立した5楽章からなり、それぞれの楽章は樹の生育過程の特徴的状態である、種・根・幹・枝・実をあらわしている。
プロクワルテットとヨーロッパ室内楽センターの委嘱。

■弦楽四重奏曲第3番(2005) | 野平一郎
弦楽四重奏曲第3番は、ヴィオラの今井信子さんが主催するアムステルダムのイースト-ウェスト・アカデミーの委嘱作品として、2005年初頭に作曲された。同じ年の3月末から4月初頭に開催されたアカデミーは、西洋と東洋の若い奏者が一つのグループをつくって室内楽を学び、作曲者も参加して演奏者との交流や指導の一部を受け持つというもので、私自身は参加することが出来なくなったが、作品そのものはアカデミーで取り上げられた。2002年ロン=ティボー・コンクールで第1位になった山田晃子さんの第1ヴァイオリンを始め、ロシアと日本の混成チームによる弦楽四重奏によって、同年4月1日に初演された。

対照的な緩急の2つの楽章からなる。中央の音域のホ音を中心に、そこから拡散し、そこへと収斂する。緩急のテンポが楽章間の基本の違いだが、ゆっくりな動きの中にも忙しいディティールが隠されていたり、素早いテンポの中にも緩慢な大きな時間が隠されている。第1楽章は、音色のコンポジション。螺旋的な構造を持ち、中心音に戻ってはまた前とは別の展開を試みる。最後は音にならない音によって空中に消えて行く。第2楽章は、言葉の音化によるスケルツォ。一つの簡単な言葉を各楽器がまったく異なったリズムで表わして行く。再びホ音へと収斂し、別の展開を試みるが、道半ばでヴィオラがまず千鳥足で退場し、チェロが観客の目と鼻の先で奏しているのに、ヴァイオリンの2人は、遥か彼方に去ってしまうという遠近法によって曲が終わる。

■弦楽四重奏曲第1番 (1991)| グエン・ティエン・ダオ
全体は以下の6つの部分に分かれるがつづけて演奏される。低音の引き伸ばされた和音で始まり、暗い進行がときどき短い閃光で遮られる短いグラーヴにつづいて、おぼろげな響きのなかに錯綜した音が入り混じるロンターノをあいだにかいして、同じ音型が繰り返されながらも徐々に活動的になっていくルバート。
つづくアパショナートでは、大きく波打つトリルと和音の第1ヴァイオリン、揺れ動き続ける第2ヴァイオリン、高音にのぼりつめるピッチカートが響き渡るヴィオラを背景としてチェロが美しく歌い続ける。それを切り裂くような金属的な和音ではじまる対決であるデュエル。
最後のコン・ブリオでは繰り返されるトリルによってしめされる押し寄せる波が、砕け散って全曲を閉じる。
1992年3月29日ラヴェル弦楽四重奏団により、パリのサル・ガヴォで初演。ラジオ・フランスによる委嘱。

■弦楽四重奏曲 タタターII (2013)| 丹波 明
1968年に書いた「タタター I」に続くこの二番は、カルチエミュジコの委嘱で四十数年後に再度、同じ編成に取り組むことになりました。「タタター」とはサンスクリット語で、「真如」「如」と訳されている語で、あるがままの現象と云う意味で、万有に通じる真理ということです。私はこの様な理が有るかどうかは知りません。又、この様な真理をこの曲で表現したいと考えた訳でもありません。唯、ベートーヴェン、シェーンベルク、ドビュッシー、ベルクの後には何が有るべきかを考えただけです。ヨーロッパ音楽の表現手段の他に何が有るかを考えた時、日本の能楽から多くのものを学びました。この曲は、『タタター I』に比べて、意気込むことなく「序破急」書法で書きました。音の密度(音の数)、早さ、強さ、高さの漸進的増加の組み合わせによって構成されています 。
2013年カルチエミュジコ(印田 千裕、竹内弦、民谷可奈子、 津留崎直紀)により、2013年3月2日横浜みなとみらいホール小ホールで初演。

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