音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
プログラムノート(4/9 パリ〜京都)
ギリシャ生まれでル・コルビュジエのアトリエに在籍した建築家としても知られるI・クセナキス(1997年京都賞受賞)と、その弟子であり現在フランス内外で活躍するP・デュサパン、ともに異色の歩みから独自の音楽世界をつくりあげた作曲家です。「重要なのはフォルムである。表現はあとからやってくる。」と語ったクセナキスと、師から受け取ったものをさらに自由に模索し続けるデュサパン、二人の作曲家が企図とした音楽のフォルムを感じとるひとときをお楽しみください。

クセナキス『ユネム=イデュエ』
晩年になって、呼吸法とヨガを学びながら、ヴァイオリンと奏者の身体性を模索していた世界的なヴァイオリニスト、ユーディー・メニューヒンの80歳の誕生日に献呈された(タイトルはヴァイオリニストの名前の逆さ読み)このふたつの弦楽器のための弦楽器のための作品は、16分音符単位の揺るがしがたい一音一音からなる厳格な音楽です。「全18小節、3分ほどの短い作品だが、全曲を通してフォルテッシモ、ヴィブラートをかけずに演奏される虚飾をいっさいはぶいた抽象的作品である。(中略)全体を通じて音の跳躍が多く、曲の終わりにはその幅は2オクターブ近くにまで広がり、最後はいいきったような形で曲が終結する」(『作曲のパラドックス』より)音楽の極限に位置する小品から今回のコンサートを始めます。

クセナキス『エヴリアリ』
タイトルは「沖合の海」あるいは「蛇の髪をもったメデューサ(ゴルゴン女神)」を意味します。樹木状の図形に由来する旋律的構造をもった作品の時代の最初のひとつです。前作の『ヘルマ』と比較しても、この2作目のピアノ作品はより天真爛漫で、激情的であり、スペクタクル的です。

まさにトッカータであり、才気煥発な名人芸が必要とされます。容赦ない16分音符の羅列と、力強さと、稀有なる絶頂への楽器のもつ音の響きが、4段の五線譜に5段目が付け加えられた中で、何度も繰り返されます。旋律的な大きな跳躍を伴いながら、ラインがうちやぶられる断続音による執拗な和音のブロックが交互に出現します。楽器の並外れた音域に魅惑されるでしょう。

クセナキス『風の中の麦わら』
ピアノの和音とチェロの旋律による、風とそれにそよぐ麦わらを表現しているのでしょうか。ゆったりとしたピアノによる両手のすべての指を使った10音の和音の羅列が、ほぼ小節ごとにフェルマータで立ち止まりながらはじまったのちに、長音に引き伸ばされた和音がディミニュエンドしていくなかで、チェロが満を持したように、ゆったりとした旋律を奏ではじめます。チェロの旋律がひと段落したのちに、ピアノの和音が(ひきつづき麦わらを揺らそうとする企図で)そこに介在するかのように挿入されます。ふたたび、ピアノにうながされるかのように、、チェロの旋律が再開され、やがて高音まで上り詰めたのちに、低音に以降しながら消え去っていくなかで、ピアノのフォルティシモの和音で曲の全体を閉じます。ピアノの美しい和音とチェロの雄弁な旋律の対比が見事な作品です。

クセナキス『ディクタス』
作曲家は「この作品は、ふたつの本性からなるひとつの人格のようであり、タイトルが意味する二元性のようです。この矛盾した自然が、ふたつの楽器の空間性において、ときとしてリズムとハーモニーを溶融しながら、さまざまなダイナミックスのフラックス〔流束〕のなかで現実化されている」と語ってます。

区切りなく演奏される大きく5つのパートに分かれた全体は、とても美しく、かつ表現的で輝かしい音楽が実現されています。シンクロしないままの多声のピアノによる導入部ののち、ヴァイオリンが8分音符で拍子を区切って演奏します。ピアノが非オクターヴの音階を奏で、下降のグリッサンドで駆け下りながらテンポを増します。第2部では、突如として下の〈レ〉で完全に凝固し、動かなくなります。第3部では、ピアノの介入によって補佐されたヴァイオリンが大げさなグリッサンドで開放され、高音の2弦による極限での非シンクロしたグリサンドのあと、低音のフェルマータに到達します。第4部では、ふたつの楽器による敏捷かつ目がくらむような32分音符が続いたあと、すこしずつテンポがおち、ピアノがひとりで、作品の冒頭と同じようなポリリズムを演奏します。第5部は、ヴァイオリンの速度の速い短いグリサンドによる輝かしいコーダののち、効果的で結語的な主音でもって、最後の〈ソ〉が荘重に伸ばされ、終了します。

デュサパン『インヴェーチェ』
数え切れないほどの空間的な分節であるトレモロ・運弓(弓の返し)・ハーモニクス・グリッサンド・4分音(微分音)などは、よく引用される演奏モードであり、現代音楽の遺産なのです。これにそって弦楽器の個人的方法論として、癖とかコツとかチック(痙攣)などをリストアップしたのちに、どのような場合にもこれらを使わないようにするという(タイトルは「…の反対の」を意味するイタリア語)矛盾に満足しながら、ゆったりとしてしゃがれていて、しかしかなりデリケートなこのお気に入りの楽器ために、かなり削減された暴力的な材料をつかって、作曲(構成)しただけなのです。

とてもリズミックで、多声による対位法的な媒介とは反対に音符化されたため、演奏家にとって、すべての運弓はかなり逆立てられた要素をもっています。そのため、演奏は聞かれるというよりも見られるという要素が大きいのです。このような拘束と、器楽的考察に基づくエクリチュール(書法)が、この作品に真のダイナミックな歩調を与えているのです。(パスカル・デュサパン)

デュサパン『2007年2月1日』
1530年からつづいているコレージュ・ドゥ・フランスの新しい芸術創造講座の2年度目の教授に、作曲家としてはピエール・ブーレーズにつづいて選ばれたパスカル・デュサパンは、2007年2月1日に開講講義(邦題『作曲のパラドックス』)を行いました。このなかで、ロラン・バルトの「音楽はけっして戻ってこないものである」という言葉を引用しながら、音楽を聴くことは「現前する感動の瞬間的錯綜による過去の要素を刷新する精神的変換」であると、一般市民である聴衆に問いかけました。その一方、作曲について語るために、「シンプルに創る」という法則のもとに、ひとつのピアノのための断章を作曲して、その作品をもとに、時間に沿って音楽を書くためには、待機することであり、時間を喪失することであると、作曲という行為について説明しました。この断章が、今回演奏するこのタイトルで出版されたのです。

デュサパン『トリオロンバック』
若い頃から、半音より細かい音程の微分音もちいて作曲していたデュサパンにとって、1オクターヴに12音しかないピアノは苦手な楽器だったのです。あるとき、フランスのピアニスト、A・プラネスの弾くヤナーチェクの譜めくりをしたときに、オクターブの力強さに驚かされたこともあって、ピアノのための最初の作品としてこの作品を書いたのです。テンポを頻繁に変化させながらも急ー緩ー急の3つの楽章は、まったく、様相が異なり、敵対すらしています。東ヨーロッパの音楽を好んでいたデュサパンは、そこのフォークロール(民族音楽)を取り入れてラインを創出し、そこから引用を噴出させるという複雑なプロセスをへて、さまざまに進路変更させながら、進捗させていきます。しかし、引用されている元の音楽も、自分で作曲した「贋」の音楽でであると明かしています。それぞれの楽章に登場するふたつの弦楽器による印象的な美しいソロのラインには、アラブ風な音楽を聴き取ることができないでしょうか。
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