音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
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プログラムノート(ヴァイオリン コンセール モノローグ)
■3つのミニアチュア (2002)|G・ベンジャミン
 ラリーのための子守唄/サリーのためのカノン/ラウアーのリード
G・ベンジャミンはパリのコンセルヴァトワールでメシアンのクラスで作曲を学ぶとともに、I・ロリオにピアノを学んだ。現在は指揮者としても活躍している。この作品は3つの部分からなる。ゆったりとしたドルチェッシモのシンプルで緊張感のないメロディではじまる第1曲の子守唄は、2声のハーモニーの帯がつながりながら繰り返される。途中、ピアニッシモと交互にハーモニクスが奏でられ、テンポが揺れ動くカデンツァで終わる。正反対のとてもエネルギッシュで速い第2曲目はピッチカートとアルコが繰り返される。ノン・ヴィヴラートの長音をあいだにはさみながら3連音符と2連音符が繰り返され、最後はピアノとスフォルティッシモの和音の繰り返しで曲を閉じる。ヴィブラートのアルペジオではじまるイントロダクションをもった最後のリートは、途中で左手によるピッチカートに導かれたピアニッシシモのアルコによる優しいシャンソンに導かれていく。


■狂詩曲風組曲 (1965)|A・ジョリヴェ
 E・ヴァレーズに師事して、音楽のみならず多大な影響を受けたA・ジョリヴェは、若い頃に旅した北アフリカのアラブ音楽・イスラム音楽を体得している。この晩年の独奏楽器のための作品のひとつである『狂想曲風組曲』は全5曲からなる。第1曲「前奏曲」のアラブ風民族音楽の色彩の濃い。しずかでゆったりとした「アリアI」には小節線は数本しかなく、低弦の高い音のポジションで旋律が奏でられ、終盤にはさらにテンポが緩んで曲を閉じる。つづく「間奏曲」では4分の1音高く調弦された〈ラ〉の開放弦を用いて、全体に弱音器をつけて駒の近くでの演奏からはじまる。中間部は日本の民謡を彷彿とさせる。つぎの「アリアII」も弱音器をつけたまま演奏される、グリッサンドが特徴的な短い対比的な曲である。つづく「終曲」では短い旋律とピッチカートの和音による、歌とかけ声をともなった踊りによるは華やかなメロディで全曲を閉じる。全体を通じて小節線が少なく、タイトルのラプソディー(狂想曲)の色彩が支配している。

■アンテーム (1991)|P・ブーレーズ
 P・ブーレーズは20世紀後半から21世紀にかけて、フランスの音楽のみならず、あらゆる芸術を代表する作曲家である。この『アンテーム1』は『固定された爆発』の最初の曲想をもとに、ヴァイオリン・ソロにふさわしい音楽テクステュアに変更・増殖させながら書かれた。いくつかの部分に分かれ、テンポの対比がきわ立っている。コントラストの強いダイナミーク、弓の位置指定などの奏法が細かく記載され、小節ごとに拍子がかわるなかで、速いテンポでの連続の重音ピッツィカート、トリルと同時に他声部でメロディを演奏するなどヴュルチトゥオーゾ的要素のおおい作品である。なお、この作品をもとに、コンピュータ音響にリンクさせて、演奏と同時に増幅・変形させる『アンテーム2』も書かれている。

■砕けてもあり、、、(2009)|E・カナ=ドゥ=シズィ
 美学的センスにもとずく独特のエクリチュールをもつ作品を書き続けているカナ=ドゥ=シズィは、芸術アカデミーに選出された最初の女性作曲家(本人は女性形を好まないが)である。この作品を書くにあたり、作曲家は、子供の頃から親しんできた楽器のために、上田聴秋の俳句「砕けても 砕けてもあり 水の月」の仏訳にインスピレーションを得た。初演のさいには来日した。

 俳句は日本語ばかりでなく、海外でもさまざまな言語への翻訳とともに、あらたに創作され続けている。音節数はともかく、外国語でも簡潔さ、諧謔性、季節感の精神は守られているように思われる。バルトの言うように、俳句は言語以前に沿って書かれ、言語の意味をもたない。物語の展開もなく、むしろ言語の中断であり終焉だとも言えるだろう。聴秋の俳句は、つねに空に浮かぶ月はつねにそこにあり、砕けているのは水のゆらぎのなかに浮かぶこなごなになった月の破片である。そのふたつの月が並列してひとつの映像として並べられている。そこには、たゆたっている時間はない。

 作曲家は、空に浮かぶつねにそこにある月と砕けているのは水のゆらぎのなかに浮かぶこなごなになった月の破片との同時性に永遠性と儚さ、あるいは動性と不動性という、これまでの作品におけるテーマと共通する二面性を見出し、それらを対比させながら音楽を紡いだ。冒頭32分音符の断片的な塊ではじまり、繰り返されたのちに高低差の少ないグリッサンドをともなった
長音となり、ピッチカートの短い和音が挿入される。微妙にテンポを変化させながら、途中、おだやかな楽想の部分を挟みながら、この対比は繰り返され、最後は弓の背でわずかな音を残しながら、ピッチカートの和音を奏でて全曲を閉じる。最後を除いて、全曲にわたって小節線はない。

 エディット・カナ=ドゥ=シズィは、この曲につづいて、ピアノのための『静寂のプレリュード』(2009)で夏目漱石の、ヴァイオリンとピアノのデュオ『5つのミニアチュア』(2013)では幸田露伴、千代尼、小西来山、渡辺水波の俳句から、短くて束の間で、最小限にとどめられた音楽へのインスピレーションを与えられている。

■無窮動 (2013)|B・マントヴァーニ
 若くして、パリのコンセルヴァトワールの院長に就任したマントヴァーニに同世代の作曲家のなかでも、もっとも注目されるひとりである。この作品の初演にさいして、現代音楽は難しいかと問いかけられて、音楽は(まず)愉しみのためにかかれるはずだと語る作曲家の2曲目の無伴奏ソロ曲である。『常動曲』というタイトルの楽曲は、音楽史において、昔からさまざまな編成で書かれてきている。タイトル通りの(ほとんど)休符もない音符は、ヴァイオリニストひとりで奏でられなければならない。ピアニッシッシッシモからフォルッティッシモにいたるピッチカートによるスタッカートの〈ソ♯〉の音が繰り返されて曲がはじまる。スラーによる上下する音形、1〜4音の短い音形、やがて重音による音形も混じり、一旦ファルティティッシモの4重音によって閉じる。すぐにテンポを落として、ヴィブラートなしで、メロディが奏でられたのち、上下する音形がふたたびあらわれる。さらにはおなじ音がつづき、これらの要素が執拗に繰り返される。下降音形ののち、最後はアクセントをもった高音の11個の〈シ〉のピッチカートが、フォルティティシモへとクレッシェンドしながら繰り返され、突如として曲を閉じる。

■インヴィーヴォ (2014)|P・デュサパン
世界中のコンサートにおいて、現代のフランスの作曲家のなかでも、もっとも頻繁に取り上げられる作曲家のひとりである。ヴィジョンの明確さと構成の確実さからもたらされる確固としたエクリチュールはほかに類を見ない。

ラテン語で「生命の本質において」というタイトルは、生命ある有機体の実質的調査を意味し、組織化され、展開する音楽〉のフォルムを示唆している。

怒りをもってはじまる第1楽章は、さまざまな長さの休符を挟みながら、ピアニッシモからフォルティティッシモへと炸裂する短い音符の塊が繰り返される。「不在のような透明感をもって」と指示される重音が響き、16分音符の細かい恩恵をあいだに挟みながら、最後はピアニッシッシモの高音の単音がスラーで奏でられながら楽章を閉じる。

第2楽章は「(答えのない問いのように)謎めいて」と書かれているように、出だしの高音の長音とピッチカートが交互に繰り返され、ハーモニーをもった細かいフレーズが繰り返しが挿入される。最後に長音のあとの〈ソ〉のピッチカートで短い楽章を閉じる。

「空に消え去る一羽の鳥のように」と書かれている第3楽章は、弓の圧をほとんどかけない音形ではじまり、やがてスルポン(駒寄り)で8分音符と4分音符の音形が短い休符を挟んで奏でられる。音 符は16分音符にまで細かくなり、ときどき長音やトリルが挿入されながら、強弱もピアノから スフォルツアンドへと大きく変化しながら断片的音形が繰り返される。ときどき奏でられる 〈ミ〉のピッチカートが効果的である。 4分の4の拍子記号のなかで、8分休符などの 長さの異なる休符が、鼓動の不整脈のようにランダムに挿入されながら進行する。 最後はリタルランドしながらスルタスト(指板の上)でさまざまな三連音符が最初の音を1音ずつ下げた短い下降音を最初の音をレガートで繰り返されたのちに、ピアニッシモの高音の〈シ〉ではじまるいくつかのおなじような音形によって全曲を閉じる。

2017年9月9日(土)19時開演 杉並公会堂小ホール
カルチエミュジコ ヴァイオリン コンセール モノローグ
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