音楽をもっと身近なものにするために、ヴァイオリンを中心にさまざまな楽器編成で、演奏機会の少ない現代・近代の作品を取り上げて、室内楽コンサートを行っています。初めて聴く音楽に耳を澄ます楽しみを味わってください。
〈ユダヤ人でないこと〉の眩暈
例えば「フランス人」、それから「ユダヤ人」と口にしてみる。思念の粟
立ちが明らかに異なる。西暦と同じ長きに渡って、ユダヤなるものが火種
であったヨーロッパではいかばかりかと想像する。キリスト教世界、近代、
そして今もまさに、宗教・政治…のさまざまな局面で、デリケートにして
困難な〈ユダヤ人〉問題めがけて、『私家版・ユダヤ文化論』(内田樹著、
文春新書519)
は跳 躍する。ユダヤ人思想家、タルムード学者のE.レヴィ
ナスを師とする著者は、中立的なユダヤ人研究書ではないと断りつつ、
〈否定〉に媒介されて存在してきたユダヤ人を語る言葉は、「他者」を、
ひいては自分自身を語ってしまうのだ、と自らの立ち位置を述べる。

ユダヤ人とは誰か(誰でないのか)を説き、近代フランスの反ユダヤ主義、
日猶同祖論、ユダヤ人陰謀史観など、反ユダヤ主義の系譜を丁寧にたどり
ながらも、著者は注意深く後じさり核心を迂回する。それゆえこの本をめ
ぐる語りもまた容易でなく、要約を迂回するよりほかなくなる。

白眉は、レヴィナス経由のユダヤ教理解である。ユダヤ人の聖史的宿命と
は「諸国民に先んじてより以上に受難すること」。神に選ばれたことは救
いの優先権ではなく、有責性を意味し、かれらは「私自身に対して他の人
々に対するよりもはるかに多くを要求する」。その神との関係においては、
罪深い行為ゆえの有責意識という因果律は否定される。罰への恐怖心は、
人間の善性を培わない。人間の善性と責任を基礎づけるためにユダヤ人は、
アナクロニズム(時間錯誤)的な時間意識に基づき、「かつて神=隣人を
追い払った」という「いまだ到来せず一度として現在になったことのない
出来事」を、偽りの起源的事実として引き受けた。ユダヤの神は、全責任
を一身に引受けるような人間の全き成熟を求めるがゆえ、救いのための顕
現を断念し、神の不在こそが神の偏在を証明する、ことになる。

著者は、多様な知的領域でのユダヤ人の突出ぶり、サルトルの『ユダヤ
人』、フロイトの強迫自責と宗教の起源の論考を反転させつつ論じ、有責
性と始原の遅れというユダヤ教概念を末尾に置く。かつて「これから存在
させねばならぬものを基礎づけるために、未だ存在したことのないものを
時間的に遡行して想像的な起点に措定」した集団がいて、その思考形式は
他の人々には「知性的」と映り、キリスト教に先立つ(呪われた)その信
仰・知性・過ぎ越す仕草への無意識下の強い欲望が、幻想の境位で憎悪と
して結像した。このアナクロニックな反ユダヤ主義の理路を、非ユダヤ的
に遡行して示された、この人々のありように、私は眩暈がしてしまう。そ
れは、ユダヤ的なものとの遭遇につきまとう眩惑の追体験、なのだろう。
NN

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私家版・ユダヤ文化論/内田樹 著(文春新書519)







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